人の死に関わる重たい話が込みなので、苦手な方はバックしてたもれ
忘れるというのは、時に優しかったり残酷だったり。
それでも忘れたくないと思った事は、日記に書いたり備忘録にしたりしておくというので、ワタシもそれをする。当時のブログが残ってないかと漁ったのだが、とうにサーバごと消滅していたので、新たに書き起こすことにした。
たっぷり10年以上は前の事だ。
ワタシはふとした理由で、当時住んでいた東京の品川区から函館までチャリで行くことにした。青森~函館間はフェリーなので、実質的に青森までということになる。
ふとした理由は、ワタシの幼少の頃の初恋にまで遡る。相手はいとこのお姉さんだった。そのお姉さんが結婚したときには、とうに初恋の想いなど忘れ去っていたにも関わらず、得体の知れない衝撃を受けたものだ。初恋というのは特別らしい。
そんなお姉さんが癌になった。発見時にはもう手遅れで、どうにもならないという話だった。お姉さんにはまだ小さい子供がいた。その子の為に生きていたいとお姉さんは言った。
当時のワタシが中学生くらいであれば、この出来事を機に医者になるべく勉強を始めたりしたであろう。が、現実はそうタイミングが合ったりはしない。大人になっていたけど医者ではないワタシに出来る事は無かった、と言っていい。
ところで、世の中にはありそうでなさそうな話というのがある。こういう状況下に置かれた人間にはスピリチュアルな話に傾倒する者も少なくないと聞く。
ワタシはこう考えた。この世の幸福と不幸の総量が同じなら、自分が引き受けた苦痛の分をお姉さんに幸福として回せるのではないかと。誰かが不幸に遭えば、誰かがその分幸福になるというアレの応用だ。
もちろん、本気で信じていたわけではなくて、そうなったらいいなという願望だ。…と言いたいが、本気で信じたかったのも確かだ。
ワタシの非合理的な謎思考回路が駆け巡った結果、「東京から函館までチャリで走れば大抵の事はなんとかなってくれる」という謎の因果が成立する。謎としかいいようがない。
当時、勤め人であったワタシには夏休みやらを駆使しても4日の日程を取るのが精一杯だった。この4日のうちに走破しなければならない。ざっと一日200km弱のペースだ。
ワタシの愛車はクロスバイクだ。ロードレーサーには劣るけど、走行性能はなかなかのものだと思う。エンジン(本人)さえ働けば不可能な日程ではないと考えた。
しかし素人がいきなり長距離を走れるものではないので、トレーニングを始めた。平日は仕事が終わってから20km程度走り、休日は鎌倉や江の島へ往復100km。
あまり時間が残っていないので、トレーニングは2か月足らずとし、夏休みを取れる9月頭に函館へ行くと決めた。