某氏の暴言が問題になったニュースを眺めていたら「怒りの沸点低すぎ」という言葉が目について、はて自分の沸点はどんなだろう?と思って振り返ってみたわけだ。
ここ5年ほどのうちで怒った記憶はいくつかある。怒らないと言われることもあるけど、ワタシだってちゃんと怒れるし、何に対して怒ったかを思い出すことだってできるのだ。
ところで「怒る」と「叱る・窘める」はまったく別モノと考えているので、叱ったりすることはままある。怒らなくても相手を窘めることはできるから。
1.家族が買ってきた弁当を大量に残して食材を捨てた件
これは焼肉弁当を注文すれば肉が大量に付いてくるのは分かり切ってるのに、その肉を大量に捨てたという感じだ。この時は「だったら別のやつを頼め」と怒ったことを覚えている。
2.「三月のライオン」で、ひなちゃんがイジメられる一連のアレ
ワタシは幸いにしてイジメというものに関わったこともなければ、小中高大社会人と自分が触れ得る限りの範囲でそれが起きた事さえない。余程珍しいらしく、今まで同種の人間には一人しか会っていない。それが珍しいとされる事が異常なんだぞと言いたいけども。
知識としては知っているし、その手の本を読もうとしたこともあるけど、あまりの惨さに途中で巻を措いてしまった。一読巻措く能わざるどころか。
そんなワタシがあのイジメ話を観たら沸点を超えた。いやもう本当に超えた。露骨に超えた。それ以来、この先現実で遭遇したらどうしようかと本気で悩むこともある。暴走気味の桐山くんを笑えないのだ。
3.沖縄の基地問題のニュースに付いてたコメントで「何もないところに基地を作ったら、後から人が金目当てで群がってきた」というのを見た時。
これも派手に怒りが湧いたことを覚えている。ワタシは国際法のゼミを取っていて、日米安保とそれに付随する基地問題がゼミの課題になったことがあった。
それで勉強して知っていた事だけど、何もない所に基地を作ったんじゃなくて、戦火で破壊され尽くしたところに基地を作ったわけだ。建物は無くとも、生き残った住民はたくさんいたのだ。
財産と呼べるようなものは全て破壊されたし、占領下にあるしで、移住しようにもそんな事は不可能だったわけだ。
そういう状況だったことを知ってか知らずか、貶めたという点で同じことだけど、後から金目的で基地周辺に群がったというのはどうなんだと。基地問題の賛否はともかく、事実を捻じ曲げて誰かを貶める精神(そんな高邁なモノではないか)ははっきり歪んでいて嫌いだ。
コメントを返そうかとも思ったけど、ああいう匿名の場で何かを言っても大した意味は無いと思っているので、結局やらなかった。思い出して怒るくらいなら、何か言ってやっても良かったかとも思うけど、返さなくて正解だったとも思っていて、どっちが良いのか分からない。
4.ペルソナ5の鴨志田のヤロー
これはまぁ、自分で成敗できたからまだマシだけど、とても怒った事を覚えている。これほどの悪党を初っ端に持ってくるとは導入が上手すぎると変に感心したことも覚えてる。
他にもあるかもしらんが、よく覚えていない。
唐突ながら、怒りってやつは自分自身が体験することで初めて得られる感じ方ではなかろーか。
個人的に体験の伴わない怒りってのは成立し得ないと思っていて、例えばニュースで不祥事やら事件やらに対して怒りの声というのが上がるけど、あれは知識と知恵から生まれた怒りのように見えるナニカであって、本質的な怒りとは違うんじゃないかなどと考えている。
事件があったとして、被害者はその体験から怒りを生むけど、視聴者は事件との物理的・環境的な距離や、報道者の判断といった何層ものフィルタを通過した情報しか受け取れないわけで、そこに体験(自分自身の皮膚で見聞したという意味)は無い。
同種の経験を持つ人は別にして、体験の無いところに本物の怒りは成立しないと思うと、昨今話題になってるSNS上の怒りって何だろう?っていう疑問にぶつかった。イマココ。
それとも、SNSのそれや報道のあれやに対してワタシが人一倍鈍いだけで、ワタシの感じ方の方が異常なのかもしれない。世間的な平均値は何処にあるんだろう?とも考えてしまう。
ワンピースの魚人島編で、ホーディーが自身は人間に何かされたという体験を持たないのに魚人族の怒りを代表していた事を思い浮かべて、色々考えさせるなぁとか思ったり。
そんな具合で、よく分からない宙空を泳いでいる。
結局何を書きたかったのかも分からないけど、自分が何に怒ったかを覚えておくのは良い事だと思うことにする。