8巻を買う前に妄想を垂れ流す。

 

 

 

 

 前回のトーコの地獄発言から、男土に元々「毒」が存在していて、それを取り扱うために都市計画が為された可能性を考えた。 まずは毒について書かれたものを見直してみよう。

 

 「穢土蛇神伝」ってのがこの世界の民間伝承に存在していて、おそらくはそれを元ネタに書かれた校歌の歌詞がそれ。この歌詞をもっと大事に扱うべきだったのかな?と今さら思い始めたので、ちょいと考えてみる。むしろ、なんでここまでコレを放置し続けたのかと小一時間。

 

 

 

 

 見直して気づいたのが、「この歌詞は編詞されたもの」ということ。つまり、伝承を元にしつつ編詞担当の人間の改変、創作、想像…つまりは何らかの感性、思惑が反映されてるということ。この歌詞には伝承部分とアレンジ部分があるということ。

 

 だから、この歌詞が毒について触れており、そこを掘り下げるなら、まずはオリジナルの部分とアレンジ部分を切り分ける作業が必要になる。

 

 

◇1番

七つの丘に冠たるは

 これはローマを元ネタにした巡ヶ丘の光景を描写したもので、アレンジ部分ではあるが、新市名が一般公募で決まったことから深い意味は無いように思う

 

天に煌めく剣の聖

 龍征祭の解説から、大蛇を退治するのが伝承の本筋であると分かる。であれば、聖については伝承のオリジナルと思われる。

 

朽那の川に渦巻くは九頭の大蛇の毒の息

 最重要センテンスか?現在の地名がどうなってるかは分からないけど、重要なのは「大蛇=龍がいた」ことより、"朽那川"に「毒」があったという描写だ。本筋を考えればおそらくオリジナル。

 ところで、龍と大蛇が出てくるけど、これは同一の存在だと考えている。別々だったら男土の地が化け物に襲われ過ぎで悲惨すぎる。

 

 ここまでは、聖と龍の存在と対峙を表現したものか。伝承と比べても特におかしなところは感じない・・・?かな。聖が何なのかは相変わらずサッパリだけど。

 

 

 

◇2番

七日七夜の争いに

 判別不能。オリジナルなのか、それとも韻を踏むためのアレンジなのか。あまり重要性は感じないが。

 

天より降るは血の涙

 んー…よく分からない。本筋は聖による龍征なのだけど、「天」についてはこの歌詞しか触れておらず、果たす役割については謎。天と言えば伝承では「神」を指すイメージだけど、古代日本人にそういう概念があったかをワタシは知らない。その後の「降る」を考えると「空」と判断する方が通りはいい気がする。

 

 神から何かを贈られたとしても、それが「血の涙」ってのは、どう解釈していいのか分からない。いずれにしろ、神から「血の涙」と評される何かが与えられたか、空から「血の涙」がもたらされたか、、、かな?

 

 これがオリジナルかアレンジ部分なのかは全く分からない。伝承の全文があれば判断できると思うんだけどなぁ。

 

大地に深く刻まれし炎の跡こそ物恐ろし

 血の涙とは隕石か?天より降る「血の涙」で、大地に深く刻まれて炎上した。なにしろ"隕石落ちたらどうなる動画"は凄かった。

 

 仮に隕石だとした場合

 この部分が伝承オリジナルであるなら、聖と龍が七日七夜戦ってる時に隕石が落ちてきて~って話になる。ただ、それで龍が征伐されたわけではないと思う。

 決着を付けたのが隕石の仕業なら、聖の立つ瀬がないし、聖の扱いは伝承上も小さくなっていたと思う。というか聖も一緒に消し飛んでしまう。ゆえに両者の決着に繋がったとは導きたくないという個人的見解。

 

 これがアレンジ部分だった場合は?

 意図不明。聖と龍の対決に余計なちょっかいを入れる理由が分からない。伝承の決着がよく分からないことになるだけのような。アレンジとする方が伝承の収まりが良くなると思うけど…じゃあ何故こんな内容を追加したのか?

 

 んー?結局よく分からない。

 

 

歌詞がキーになるなら2番の解釈が最重要になりそうか。

オラにもっと材料をくれ。

 

 

 

◇3番

七つの丘に日は巡り

 特になし。

 

今や聖はおらねども

 この聖を解明することが問題解決の要諦だと思うんだけど、一体何を指してるんだろう?ここは後世の手=編詞によるアレンジ部分だろう。

 

我ら希なる聖の子 心に剣を捧げ持ち

 巡ヶ丘の生徒は類希な聖の子であると謳っている。これもアレンジ部分。聖が何なのか分からないので、さっぱり分からない。

 

以下略。

 

 

やはり2番の解釈が問題になる?