日本史は割と好きなんで、歴史関係の話題やニュースに飛びつくこともあります。
そんな歴史好きの多くが触れたことがあるであろう話題が、征夷大将軍は源氏以外でもなれるのか云々。
征夷大将軍といっても、ここでは武家政権の担い手を言います。要するに源頼朝以降の話。頼朝さんも奥州藤原氏を征伐する大義名分が欲しいという本来の「征夷」目的で将軍位に就いたという説もあるけど、彼は武家政権の開祖でもあるので彼以降とします。
田村麻呂さんや藤原なんとかさんその他はごめんなさい。
征夷大将軍の地位を窺おうとした説が囁かれる人は、例えば織田信長や豊臣秀吉なんかがいて、彼らはこれこれの理由・事情によって別の途を取ったなどと言われてる。その辺りは書くのメンドイので、気になる人はググって頂戴。人によっては執権北条氏をカウントに入れたりするのかもしれない。
現在から見てしまえば、「源氏じゃなくてもなれますし、なっています」でFAなんだけども、ワタシが気になっているのは、征夷大将軍の地位を云々していた歴史上の当事者達や世間はどう考えていたのかってとこ。
例えば平氏を公称していた織田信長が征夷大将軍にならなかった理由として「源氏で無いとなれないから」という説を掲げた人がいた場合、ほぼ100%に近い確率で以下の反論が出てきます。
「源氏以外はなれないというのは俗説で、摂家や皇族といった源氏以外の将軍も存在した」
これは史料・資料が十分に集まり、日本列島における「通史」が遍く普及した現在からすれば正しい。
・・・が、当時の認識はどうだったのかな?ってのが気になるわけです。
江戸時代初期に「鎖国」がされたことは有名です。この鎖国政策、幕末のペリー来航を契機に喧々諤々という言葉では生ぬるいほどの激しさで議論されたとか。
が、この当時の大半の人々の認識は、「鎖国は日本始まって以来の祖法であり、それを取りやめるなどトンデモナイ」というものだったとか。言うまでも無くこの認識は誤りです。徳川秀忠・家光もびっくりでしょう。
でも、この当時は現代のように日本史・日本列島の通史が普及していません。そりゃ印刷・出版が普及する前の時代ですから。吾妻鏡や日本外史等々の歴史を綴ったものは存在していたそうですが、日本人の99%は読んだこともなかったでしょう。
だからこそ、鎖国は日本始まって以来の祖法という主張が罷り通ったわけです。
この幕末辺りのお話を信長の時期に置き換えて考えてみるとどうなるんだろうか?
少なくとも、「源氏以外はなれないというのは俗説で、摂家や皇族といった源氏以外の将軍も存在した」から、というのは後世の理屈に過ぎないんじゃないかと思います。
当時の人々にしてみれば、庶民はおそらく頼朝の名前さえ知らなかったと思うし、地侍や戦国大名なんかの多くは「幕府を開いたのは頼朝や足利尊氏といった源氏の人間」くらいの認識しか無かったとする方が自然に思えます。
宮将軍やら何やらの事まで知ってた人がいたとしても、圧倒的少数派なのは間違いありません。
となると、当時にあっては「源氏でなければ征夷大将軍になれない」は正しかった可能性もあると言えるし、現代において、それは俗説だと言って相手を切り捨てたりするのもちょっとどうかなって思います。