周囲の人々の協力でどうにかギルド運営が為されていた頃、AさんがROを引退することになったという話。
ちなみに、ギルドは新しくエンぺリウムを使って作り直していたので、ギルド名はワタシの名付けたモノになってるが、面倒なので伏せておく。
いずれAさんがいなくなることは覚悟していたが、実際に来るとやはり苦しい。それにしても引退とは思い切ったものである。Aさんも十分に考えた末の結論なのだろう。理由はもちろん聞いたが、今に至るまで誰にも喋ってないので、ここにも書かない。
残念に思うのは当然だけど、ギルドマスターとしては残念がってばかりもいられない。マスターというのは不自由な稼業なのだ。このAさん引退という事件によって、本当に厳しい事になったのだ。
まず、Aさんが引っ張ってきたメンバーが脱退する。これは当然の事だった。元々Aさんがお願いしてギルドのお手伝いとして在籍していてくれたので、Aさんが引退してしまえば元のギルドに戻るのが当然だった。
彼ら彼女らが支援職メインだった事は重大だった。平たく言えば、支援職が極端に不足し始めたのだ。これはPT狩りをする上で致命的である。
未転生のプリーストを持っている人なら何人かいたのだけど(ワタシ自身も最初にお世話になったギルドのマスターさんへの憧れからプリーストを作っていた)、転生二次職のハイプリーストを持ってる人は少なかった。当時、転生させる=レベル99まで上げるというのは時間のかかる大変なもので、メインキャラ以外も転生させるというのは中々に骨が折れる時代だった。
そして難易度の高い=経験値効率の高い狩場にはハイプリーストのスキルが必需品だった。ハイプリがいないのでは、そういう狩場には行けないのだ。
もちろん長い事ROをやってるメンバーの中にはハイプリ持ちもいるのだけど、ギルドの約束事でキャラを固定させる事をアウトにしていたという理由もある。
当時、ゲーム全体でハイプリが不足気味の傾向があり、ハイプリ持ちはその意思に関わらずハイプリだけを出し続けなければならないという話はアチコチにあって、色々と問題を引き起こしていたのだ。それは避けたかった。
かなり頭を抱えた。世のギルマスさんはみんなこういう悩みを抱えてるのかと思うと、たかがゲームと割り切って捨てるのも失礼な気がする。きっと、みんな相応に真剣だ。
さらに、Aさんと一緒に遊びたくて別の鯖から移籍してきたという方も、元の鯖に帰ることになった。
4ヶ月に満たない歴しか無い自分をAさんと比べても詮無い事だが、自分が情けなくなった。当時のワタシはみんなと仲良く楽しく遊べても、マスターとして引っ張っていくだけの経験も知識も持ち合わせていない。
そんな感じで、大黒柱が抜ければ建物は崩れていくのだと感じざるを得ない事態が連発した。この事態を当時のワタシが満足に乗り切れるはずもない。
自然、ギルメンのログイン率も低下し、過疎ギルドの状態になった。ギルド窓のメンバー一覧を見て、ほとんどがログインしていない状態を見るのは、なかなかにキツイ。
暫くはワタシも「どーしたもんかね、こりゃ」と悩みつつ、プロンテラの街を西に出て暫く行ったフィールドで佇んだりした。そこに居るのはポリンくらいで、人がほとんどいない穴場だったのだ。
そこでギルメンの誰それと「どーしたもんかね」などと話し合うこともあった。まるで高校時代の部活の時に渡り廊下で「なーんか上手くいかねぇなー」などと語り合っていた頃のようである。
これらの体験はとても重大だった。ワタシは多分この時期に初めて「ギルドをなんとかしたい」と思うようになったのだろう。今までの自分は前マスターの作り出した状況に流されるだけだったのだが、良い意味で我欲が生まれつつあったのだ。現在から振り返ってそう思う。
その後時間が経っても、どういうわけかギルドは瓦解するでもなく潰れるわけでもなく、それなりに存続していた。
誠に組織というのはしぶとい面を持っているし、マスターの存在に関わらず組織が組織自身の意思で生き続けようとするかのようでもあった。
「支援職が足りないなら作ればいいじゃない」という某マリーなんとかさんの如く、支援職を作ることが流行したのだ。
といっても、転生させる道のりは長い。だが、「美味い狩場行けないなら他のギルド行くわ」ではなく、「それじゃ支援職みんなで作るか」という方向に流れた事はありがたかった。
ワタシは未だ状況に流されるだけで、イニシアチブを取れる存在ではなかったが、ともかくもメンバーの協力は嬉しかった。
今こうして書いていてもダメだなぁと思うのが、ワタシ自身の意思がまだギルドに無いということだ。
訳も分からぬうちに引き継がざるを得なくなってしまったので、仕方ないといえばそうなのだろうが、どこかのタイミングでワタシ自身のギルドに転換しなければならない。
それはもう少し先の話。