鯨食ったことある?という話題になったところ、誰も食った事なかった。
そのうち松屋で鯨丼とか出んじゃね?とか、そういうしょーもないキッカケで今話題の捕鯨について考えてみることにした。
まず気になったのは「商業捕鯨の再開」というワード。
商業なので、当然に国の事業である調査から民間による商業へと変わる。そうなると、国から受けられる支援は他の農林水産業全般と同程度に限られる。そうでないと、他の事業者に説明がつかないし、露骨に不公平な施策を行うのは国としてあるべき姿じゃない。
ところが、日本政府は2019年度予算で51億円という巨額の補助金を捕鯨対策として計上してる。これはかなり不公平感の強い施策だなぁと思うし、採算が取れる見込みがない中で商業化する意味はあるんだろうかとも思う。
2020年度の予算がどうなるかはまだ分からんけど、こういう手厚すぎる補助が続くのであれば、地元の票稼ぎと揶揄されても文句は言えない。
次に、果たして採算は取れるのか。
商業である以上もっとも重要なことだけど、結論から言えば無理な模様。
これまでも調査捕鯨で捕獲した鯨肉の流通を拡げようとかなりの営業努力はしていたそうだが、実際には全然販路が出来ずに今日に至る。
都内のスーパーで鯨肉のセールを打ったこともあるが、そのときの売上は散々だったそうで、以後そのスーパーでは取引をしていない。
要するに捕鯨再開を喜ぶ声の見かけの大きさに比べて、実際の需要はあまりにも小さい。
調査捕鯨時に船団を組んで漁をするわけだけど、鯨肉需要が小さすぎて傭船料をペイできず、できないどころか毎年十数億円を国庫から補填してるのが現在地。
毎年十数億円の赤字を垂れ流す商売なんて、普通なら秒で消える。
次に気になったのは捕鯨船「日新丸」。
船齢は20年をとうに過ぎており、かなり古い。古いどころか過去に2度の火災事故を起こし死者まで出している。老朽化も甚だしい船だそうな。
2008年に福田or麻生政権で閣議決定された質問主意書に対する答弁では、"水産庁には日新丸の代替船を建造するための補助金は存在しない"とある。
水産庁になくても他で付けられる可能性を思えば虚しい答弁ではあるけど、ともあれ自民党政権は代替船建造のための補助金は無いというスタンスでいる。
つまり、商業捕鯨を続けるためには代替船が絶対に必要だけど、それを建造する予算は無いし、実際に鯨を捕る人達にもそんな金は無い。
先の採算と合わせても事業継続性はほとんど無いに等しいと思われる。これじゃ選挙のための一時的な人気取りと言われても仕方ない。
「鯨食文化を守る」というなら、商業捕鯨にしないで調査捕鯨のままにしておくべきだった。国の事業なら少なくとも継続性は担保できるから。もしかすると、捕鯨そのものを畳みたくて商業化に踏みきったんじゃないかとさえ疑ってしまう。
ところで、調査捕鯨だった今までも鯨肉を入手しようと思えば容易く入手できる。なにしろネット通販で扱ってるくらいだから。
だから「鯨を食べたい」という意見と商業捕鯨の再開には、ほとんど繋がりが無い。血抜き云々で味が変わるにせよ、そんなに鯨を食べたいのなら今までだって存分に入手できた。どころか、鯨肉の販路を拡げようと躍起になってた職員がいたくらいだ。
だから、ネット上の「鯨を食べたかったから捕鯨再開は嬉しい」というのは、本気で無いとしか思えず、とりあえず話題になってるからコメントしてみました以上の意味は感じられない。
本当に食べたかったのなら、今までも簡単に入手できたんだから。
さらに思ったのが「どれだけの鯨を捕るのか」
これは水産庁が発表したところでは、
水産庁は1日、同日31年ぶりに再開する商業捕鯨で許可する頭数の枠(捕獲可能量)を発表した。年間捕獲頭数は383頭で、調査捕鯨だった昨年(637頭)より4割少ない数にした。国際社会の反発が予想される中、クジラの資源量を減らさないよう、捕獲頭数を抑えた。
捕獲頭数は4割減。ただサイズの大きい種の捕獲は増えるので、トータルでは前年比で微減に留まる見込みらしい。
ここから分かるのは、「流通量は増えないし、だから安くもならない」
食卓にリーズナブルにお届けというのは無理な話に思える。たださえ赤字垂れ流しだったのだから、流通量が増えないんじゃどーもならん。
止めに思ったのが、鯨食は本当に日本文化なのか。
一般に文化と言うからには、それなりの認知と継続が必要。結論から言うと、これは紛れも無く文化と言っていいと思う。
日本の捕鯨は驚くことに縄文時代まで遡るらしい。考古学者さんの努力の賜物か、その頃には鯨を食していた数々の証拠が発見されてるそうだ。
決して戦後の一時期にタンパク源として必要とされていたからだけではない。実に長い長い歳月、鯨は日本人に食されてきた
もちろん食してきたのは沿岸部の人々に限られてるんだけど、文化ってのは文明と違って、土地土地に土着して地域性を帯びてるのが普通だから、沿岸部だけでも十分に文化と言っていい。例えば鵜飼や種々の伝統芸能だって、日本全国津々浦々で行われてきたわけじゃない。
文化であるなら、他の日本文化と同様に、ある程度の保護を加えることは許容されていい。
IWCがどうだ、水産資源がどうだってのは正直よくワカラン。文化が違えば衝突は起こるものだし、それをどっちが正しい云々言っても結論なんぞ出るわけがないので、初めから考える気がしない。
ただ、日本側はもう少し真面目に論文出せとか、捕獲頭数と論文上のサンプル頭数の乖離が酷すぎるのをなんとかしろとは思う。
その辺りの手抜きが地味にダメージになってると思われ。