このテーマは手に余るなぁと思いつつ。


興味の矛先が向いてしまってるので、考えないわけにもいかなくなっているです。
その辺はP3やネギま、或いは憲法問題なんかを考えるのと同じ。

それらが同列ってのも変かもしれんけど、"興味と考える対象"という点でワタシにとっては同列だったりする。




気になった事はいくつかあって。


そーね、まずは高須クリニックとスポンサーの話から。

高須院長が「スポンサーに名乗り出たら断られました!」と仰ったそうな。

前回書いたけど、既存スポンサーは年間契約を結んでいるわけで、今回の騒動では"自主判断でCMの放送を取りやめた"だけで、契約自体は生きている。

つまり、スポンサー料も払ってる。そんで、そのお金を使ってドラマは制作されている。
であるから、いきなり高須クリニックが名乗りを上げたからといって、スポンサーになれるわけがない。そんなことしたら、日テレと既存スポンサーの間に深刻な溝が出来てしまって、長期的に日テレの損失がでかくなってしまう。

なにせCMの時間枠は決まっていて、それはスポンサー各社の持ち時間だから。自主判断でCMを停止しているところに、いきなり別のスポンサーが沸いてきたらこじれるに決まってる。

これが既存スポンサーが契約を打ち切って撤退したのであれば、高須院長の発言も大いに納得できるのだけど、現状ではおっさんが無理言ってみたら案の定相手にされませんでした、という話でしかない。


と、話の枕詞に軽い話題から入ってみました。




「夜10時からのドラマを子供が見ている事が問題?」
「見たくなければ見なけりゃいい?」


うーん、、、実害を被ってる15件の子供達、或いはそれに近い環境にいる子供達がドラマをリアルタイムで見ているかどうかは問題では無いと思うんだけどな・・・


クラスメイトの誰かが見ていて、それを学校で話す事もあるだろうし。世間や親達がこれだけ騒いでれば、自然と耳に入るだろうし。


これは「見たくなければ見なけりゃいい」という意見と同じで、的外れだなぁと。

見たくないから見ていないのに、世間のほうから追いかけてくるから問題になっていると思うんだ。





「子供達は現実を見て強くなるべき?」


多数の意見を見ていると、世の中には心の強い人が多いなと感じます。

こういう現実は確かにあるのだから~とか、批判して番組が中止になってしまうと"ゴネ得"になってしまう味を覚えてしまうとか。


んーと、、ワタシも常で無い環境で育ったので(それでも彼らに比べれば十分恵まれているが)、少しは当該の子供達の気持ちは分かるのですが、当の子供達は十分に「世の中は思い通りにはいかない事ばかり」って知ってます。
だって、自らの環境が既にそうだから。無責任な外野よりも遥かにその事を知っています。

そして、その事に自分なりに折り合いを付けようとして、日々色々考えて生きています。
忘れようとしたり、気持ちを強く持とうとしたり、同じ人物でも時によって対処は変わっていきます。人はずっと強くはいられないし、"逃げる"という後ろ向きな選択肢も有効だったりします。


それを"逃げるな!現実を見ろ!"というのは変なハナシ。彼らはそんな批判をする人よりも、遥かに現実を直視せざるを得ない環境にいて、その現実と戦うために、時には逃げる事を選ぶのです。


思い出さない、忘れる、というのは、かなり有効な対処法です。ずっと逃げっぱなしなのは無理にしても、戦うべきタイミングは一人一人違う。なのに、今、この時に立ち向かう事を強制されるのは違うと思うんだ。


それが今回の騒動で望まない形で掘り起こされるのは、とてもツライことだと思う。


そういう存在に対して、もう少し優しくありたいなと思う。




「日テレは今さら変更するな。ブレるのが一番良くない?」


"ブレるのは良くない"と言われることは多いです。たぶん、政治家のドタバタ劇に呆れ果てた国民感情から生まれた発想と思うのですが。


"ブレる"と言うとイメージ悪いんですけど、自分が誤っていた事を認めて改めるというなら、至極真っ当な気がする。


ブレる=悪という図式は本当に正しいのか?そんな単純な話では無いと思うんだ。"ブレる"と反省を履き違えてはいけないと思う。



似たような例で、「批判をするなら対案を出せ」というのも大正義として掲げられることが多いように思うのですが、これもワタシは疑問を持っています。


もちろん、対案が出せるならそっちの方が良いです。対案が出ないなら建設的な議論も出来ない事も分かっています。

でも、デメリットが目に見える案に対して批判するのは、そんなに悪いことかな。
他に良い案が浮かばないけど、この案を推し進めたら必ず良くない事が起こるっていうケースって意外と多いよね。何も政治上の大問題に限らず、会社のプロジェクトでもいいし、或いは文化祭の出し物を決める話し合いだっていい。

対案がセットじゃないと批判意見も出せないのであれば、どうしたって"思いつき"の多い方に引っ張られてしまいます。その中にはロクでもない結果を生むこともあるでしょう。

会社の上司の"思いつき"で痛い目にあった経験を持ってる人は多いと思うので、その辺りは分かってもらえるんじゃないかなーと。


少なくとも、"対案を出せ"を錦の御旗として絶対視するのはキケンと思います。


カレーは二日目が美味しい、というのも似たようなアレですが、これも疑問です。
ワタシは出来立てホヤホヤのカレーが一番好きです。野菜のほっこり感が違うですから。



明日ママに帰ると、日テレが放送内容を真摯に検討するというなら、それは大いに結構だと思うんです。既存路線のまま突っ走って欲しい視聴者も一定割合でいると思うので、そういう人たちには申し訳ない気もするんだけど。

制作サイドが、(本心なのかは置いといて)改善の意思を持ったのなら、それもまた表現者としての在り方でしょうし。批判や応援、諸々の意見を汲み取って制作サイドが最善と思えるモノを選択すれば良いので、別にブレても良いじゃないと思います。




なんかゴチャゴチャしてきたので、この辺で。