ワンピ70巻読み終わった~。と、その事を書こうかと思ったところに目に付いてしまったコレ。

分かっちゃいたけど、的なニュース

支給年齢引き上げ、早期検討を=公的年金制度を議論―国民会議



昔から思ってたんだけど、年金って制度そのものに最初から無理があるんじゃないかと。

確かに絶対に制度は破綻しないんです、絶対に。
だって、税金突っ込めば維持できるし、それでも足りなきゃ支給開始年齢を上げちゃえばいいんだから。国は時の権力者を生贄にすれば、常にジョーカーを使えるってこと。

国が語る「年金制度は安心」ってのは、まあなんつーか、詐欺っぽいよなぁと思ってます。
モノは言い様ってことでね。



年金制度ってのが、いつどこで誕生したのかは知らんけど、きっと昔はそんなものなくて。
食事による栄養状態の改善、医学の進歩による平均寿命の伸び、といった本来なら喜ばしい事柄によって、人類は初めて「老後」という概念を獲得した。

それまでも長生きする人はいたけど圧倒的に少数だったし。


日本が、世界が「老後」という未知の領域に触れてしまい、権力者自身、またはその支持者を侵食していった「不安」ってやつをエネルギーに誕生したのが年金制度なんだと思う。


不安が出発点である以上、そこに冷静な視点、長期的な視野などは無い。
まして国家百年の計など微塵も考えちゃいない。



すっごく単純に考えると、

収入減コース
・少子化→人口減少→労働人口の割合減少→納税額の減少



支出増コース
・労働人口の割合減少=年金受給者の割合増大→年金支給額の増大



と、なーーんも難しい事考えなくても、こんな小学生レベルの算数で表せてしまうと思うんだ。
偉い人や有識者(?)とかいう人が、色々と複雑な事を喋ったりなんだりしてるのを見るけど、つまりはコレなんだ。




政治家ってやつに役割はいくつもあるけど、大事なひとつが


「出来ないものは出来ないとハッキリ言うこと」
「それをきちんと国民に知らしめること」


これが出来る政治家は何故か日本には昔からいなかったように思う。
いたとしたら、太平洋戦争とか無かったはずだし。



別にコレって政治家に限った話じゃなくて、例えば同人音楽制作の相談を受けるとして。
「歌い手が決まってないんだけど、先に曲を書いて欲しい」という話があります。

もちろん、書けます。


書けますが、この場合には前提として「どんな歌い手でも歌えるように一般的な音域でメロディーを書きますよ」ということになるんです。

間違ってもDとかEとかのハイトーンがバンバン炸裂するようなメロディーは書けない。書いても歌えないんじゃどうしようもないのです。

後でキーを下げればいいじゃないかと思うかもですが、そうすると今度は低音で声が出なかったりという事態にもなります。"音域"というのは高低問わずに悩ましいものです。。。

だから、そういうハイトーン云々なメロディーを"今"書くのはオススメしません、と相談者には伝えるようにしています。
歌い手さんが決まっていて音域が分かっているのなら、まったく問題ないのですが。


請け負う側として、「出来ない」という台詞はどんな条件が付随するにせよ、言いたくないんですが、それでも言わないと後でクライアントさんが困ってしまうかもしれないわけで。



そんなことを思いました。