小説もしくはドラマを見ていない人、日本史に詳しくない人にはサッパリな内容になると思います、悪しからず。





一切の宣伝をしていないこのブログにも、検索ワードってやつで人が来るらしい。



意外と多いのが「坂の上の雲」。このワードでお越し頂いてる方が存外に多く、お茶の一杯でも振舞わねばなどと考えている夕方。




前回、その4を書いてから2か月近く経過しているのですが、その5を書こうと思いつつもなかなか筆を執る気になれなかった理由がありましてね。



坂の上の雲を語る上で、絶対に避けて通れないのが「旅順」なのだと考えています。

(NHKのドラマは見ていないのですが、あらすじを読んでみたところ司馬説に準拠したストーリーみたいですね)



この「旅順」に対する司馬先生の見解に、どうにも納得いかない部分がありまして、
そんなこんなを考えると、袋小路に陥ったような不快を感じてしまい、そこから身動きができなくなるのです。




司馬先生の説によりますと、旅順攻防戦の多大な犠牲の原因は


・参謀長・伊地知幸介の無能な作戦によるもの
・第三軍司令の乃木希典が近代戦に暗く、伊地知以下の参謀に作戦を任せていたこと


煎じつめれば、参謀・伊地知、司令・乃木、この二人に責めがあるとしています。




そしてその結果として、伊地知参謀は中将までしか昇進しなかったこと等を挙げているのですが、ワタシはどうにも違和感が拭えません。



おかしいなと感じる理由は、

・伊地知幸介はドイツに留学して、天才モルトケの推薦する弟子デュフェ大尉の指導を受けているので、近代戦・要塞戦に暗いとは思えない

・伊地知が中将で退役したのは病気が原因であって、中将になった時期は同期と変わらない

・作中では、乃木・伊地知の更迭を避けた理由として"士気の低下を恐れたため"としているけど、書かれているような状況が続く方が士気は下がる

・そもそも更迭が必要なら「病気のため」でも「負傷のため」でもでっち上げれば済む。なんなら名誉職に祭り上げたっていいはず

・乃木・伊地知が司令部を前線から遠く離れた所に置き、前線の様子を把握していないとあるが、斥候を出すなり視察なりに行けば良いだけで、砲火が轟く中では冷静な判断は下せないだろうから誤りと言えるかどうか




仮に司馬先生の言う通りだったとしても、その場合に責めを負うのは満州軍総司令部の大山・児玉ではないかと。児玉はともかくとして、大山には伊地知らを更迭する権限があるのだから。
それが薩摩の美風だとしても、責任はあるだろう。




作中で書かれる伊地知幸介の無能っぷりというのは凄まじく、ちょっと現実にはあり得ない。


第1回の攻撃でなんの成果も上げずに甚大な被害を出しておきながら、無策のまま何度も白兵突撃させるとか。要塞の火線網ってのは、そりゃもう計算されて作られてますから、無闇に突撃したって無駄なんてのは素人でも想像がつく。



あり得ないが故に、ワタシはどうしても違和感が拭えずに、"旅順"について解釈ができないでいるのです。



そも戦史と言うのは、その戦争に携わった人の手に為るものだから、どれだけ信用が置けるのかも謎。派閥云々で正確に記録が残らない事があるなんて事例は片手で足りないし。




司馬先生の事はとても尊敬しているし、数多の小説家なの中でワタシが「先生」と敬称を付けるのも司馬先生だけです。


それでも、この旅順の件だけは納得がいかない。




うーん、、、歴史の真実ってほんと分からないなぁ。





作中では、児玉源太郎を旅順の英雄として扱ってるけど、後の黒溝台会戦での彼の初動は酷かった。


秋山好古の偵察報告をまるで信じず、作戦家として使ってはいけない「そんな事はあるはずがない」というワードを臆面もなく使っている辺り、果たして本当に児玉が天才的な人物だったのかも謎だ。