子規は新聞社で働き、秋山兄弟は軍人になった。
兄弟の方は軍人志望ではなかったけど、諸事情でこうなった。
人生、どの方向に転がるかは本人でさえ分からないもんだ。
で、それから色々あった。
歴史上の大きな事件としては日清戦争があった。
この物語の主役達は大して活躍してないから触れない。
物語上の事件としては、子規の死が最大だろうか。
結局、結核が元で亡くなった。享年36、若い。
あれやこれやで物語は日露戦争に向けて動き出す。
ここでは、存命してる主役の秋山兄弟にはお休み頂いて、山本権兵衛という人を書きたい。
ごんべえ、ごんのひょうえ、日本海軍の設計者とも言うべき人だ。
日本史の教科書では、1904年日露戦争、日本がロシアに勝った。うんぬんかんぬん。
非常にアッサリした記述でしかないのだけど、この時期の日本と日本人を、そんな単語の1つや2つで片付けるのはあまりにも惜しい。
まず、日露戦争の意義を。
ロシア帝国はフィンランド、ポーランド辺りから中央アジア、シベリア、そして満州に至る広大な地域を支配下に。目指すところは極東制覇なので、次の目標は朝鮮半島。
なにしろ、世界は帝国主義の風が吹き荒れている。
朝鮮半島までロシアに制圧されてしまえば、日本とは海を挟んで隣接してしまう。
当然に軍事的圧迫受けて、北海道、対馬や敦賀辺りは奪われて、日本本土も植民地になるのは避けようもない。既にロシアにはそういうことをしてきた実績があるからね。
っつーことで、朝鮮半島を緩衝地帯というか防波堤というか、そういうものにしておきたい。
要は、間接的な祖国防衛戦争だったらしい。
そうなると、主決戦場は朝鮮半島北部から満州に至るエリアになるんだけど、当然に海を渡らなきゃいけない。そのためには制海権を確保しなければお話にならない。
輸送船で兵隊を運んでる所にズドンでは、どうにもならん。
つまり、ロシア海軍を叩き潰して陸軍の輸送を確保する。これが絶対条件として必要になると。
そのためには強い海軍が必要になる。
山本権兵衛はこの海軍強化プランの企画責任者だった。
っていうのが大体でおじゃるよ。
この「強い海軍が必要」ってのが大変な難事業だった。
なにしろ、大した産業もない弱小国家・日本。金もなければ技術もない。
のに、ロシア海軍に勝てなければ日本は滅ぶしかない。ほんと、帝国主義ってのは凄い時代だったと思う。
無理に無理を重ねて軍艦を買い揃えようとしたけど、ついにニッチもサッチもいかなくなった。
外国に発注していた戦艦三笠の代金を払えなくなったのだ。
この当時、戦艦というのは圧倒的な攻撃力・防御力を誇る海戦の主役だった。
これが無いことには(あったとしても、単純な戦力比較ではロシアの方が圧倒的に上だけど…)、勝ち目なんてない。
権兵衛は、万策尽きた。西郷になにか知恵はないものかと訪ねると、西郷は事情をききおわってから、
「それは山本サン、買わなければいけません。だから、予算を流用するのです。むろん、違憲です。しかしもし議会に追及されて許してくれなんだら、ああたと私とふたり二重橋の前まで出かけて行って腹を切りましょう。二人が死んで主力艦ができればそれで結構です。」
三笠は、この西郷の決断でできた。
西郷というのは、海軍大臣だった人。名を従道、有名な西郷隆盛の弟ですね。
この人たちは日本の生存のために文字通り命を賭けていたのだなぁ、と感銘を受けたってのもある。
それ以上に、自らの決定・行いに対して責任を取るという政治家として当たり前の事を(腹切りという手法はさておき)、当たり前のように覚悟してることに凄みを感じるです。
いやもう、ほんと、某政治家の方々に爪の垢を煎じて飲ませたい。
以下は余談。
ワタシの住んでる街、横須賀なんですけどね。
戦艦三笠の記念公園があるんです。ゴミひとつ落ちてないキレイな公園ですよ(恐るべきことにほんとに落ちてない。割れ窓理論は正しいと思った)。小さい頃から何度も遊びに行っていて、そんなわけで戦艦三笠は身近な存在ですねぇ。
実際に見ると「三笠」は米軍の艦艇と比べるとちっさいんだけど、当時はコレが最強の戦艦で、日本中の期待というか祈りが集まっていたんだなーと思うと、なんか感慨深い。
兄弟の方は軍人志望ではなかったけど、諸事情でこうなった。
人生、どの方向に転がるかは本人でさえ分からないもんだ。
で、それから色々あった。
歴史上の大きな事件としては日清戦争があった。
この物語の主役達は大して活躍してないから触れない。
物語上の事件としては、子規の死が最大だろうか。
結局、結核が元で亡くなった。享年36、若い。
あれやこれやで物語は日露戦争に向けて動き出す。
ここでは、存命してる主役の秋山兄弟にはお休み頂いて、山本権兵衛という人を書きたい。
ごんべえ、ごんのひょうえ、日本海軍の設計者とも言うべき人だ。
日本史の教科書では、1904年日露戦争、日本がロシアに勝った。うんぬんかんぬん。
非常にアッサリした記述でしかないのだけど、この時期の日本と日本人を、そんな単語の1つや2つで片付けるのはあまりにも惜しい。
まず、日露戦争の意義を。
ロシア帝国はフィンランド、ポーランド辺りから中央アジア、シベリア、そして満州に至る広大な地域を支配下に。目指すところは極東制覇なので、次の目標は朝鮮半島。
なにしろ、世界は帝国主義の風が吹き荒れている。
朝鮮半島までロシアに制圧されてしまえば、日本とは海を挟んで隣接してしまう。
当然に軍事的圧迫受けて、北海道、対馬や敦賀辺りは奪われて、日本本土も植民地になるのは避けようもない。既にロシアにはそういうことをしてきた実績があるからね。
っつーことで、朝鮮半島を緩衝地帯というか防波堤というか、そういうものにしておきたい。
要は、間接的な祖国防衛戦争だったらしい。
そうなると、主決戦場は朝鮮半島北部から満州に至るエリアになるんだけど、当然に海を渡らなきゃいけない。そのためには制海権を確保しなければお話にならない。
輸送船で兵隊を運んでる所にズドンでは、どうにもならん。
つまり、ロシア海軍を叩き潰して陸軍の輸送を確保する。これが絶対条件として必要になると。
そのためには強い海軍が必要になる。
山本権兵衛はこの海軍強化プランの企画責任者だった。
っていうのが大体でおじゃるよ。
この「強い海軍が必要」ってのが大変な難事業だった。
なにしろ、大した産業もない弱小国家・日本。金もなければ技術もない。
のに、ロシア海軍に勝てなければ日本は滅ぶしかない。ほんと、帝国主義ってのは凄い時代だったと思う。
無理に無理を重ねて軍艦を買い揃えようとしたけど、ついにニッチもサッチもいかなくなった。
外国に発注していた戦艦三笠の代金を払えなくなったのだ。
この当時、戦艦というのは圧倒的な攻撃力・防御力を誇る海戦の主役だった。
これが無いことには(あったとしても、単純な戦力比較ではロシアの方が圧倒的に上だけど…)、勝ち目なんてない。
権兵衛は、万策尽きた。西郷になにか知恵はないものかと訪ねると、西郷は事情をききおわってから、
「それは山本サン、買わなければいけません。だから、予算を流用するのです。むろん、違憲です。しかしもし議会に追及されて許してくれなんだら、ああたと私とふたり二重橋の前まで出かけて行って腹を切りましょう。二人が死んで主力艦ができればそれで結構です。」
三笠は、この西郷の決断でできた。
西郷というのは、海軍大臣だった人。名を従道、有名な西郷隆盛の弟ですね。
この人たちは日本の生存のために文字通り命を賭けていたのだなぁ、と感銘を受けたってのもある。
それ以上に、自らの決定・行いに対して責任を取るという政治家として当たり前の事を(腹切りという手法はさておき)、当たり前のように覚悟してることに凄みを感じるです。
いやもう、ほんと、某政治家の方々に爪の垢を煎じて飲ませたい。
以下は余談。
ワタシの住んでる街、横須賀なんですけどね。
戦艦三笠の記念公園があるんです。ゴミひとつ落ちてないキレイな公園ですよ(恐るべきことにほんとに落ちてない。割れ窓理論は正しいと思った)。小さい頃から何度も遊びに行っていて、そんなわけで戦艦三笠は身近な存在ですねぇ。
実際に見ると「三笠」は米軍の艦艇と比べるとちっさいんだけど、当時はコレが最強の戦艦で、日本中の期待というか祈りが集まっていたんだなーと思うと、なんか感慨深い。