真之や子規は学生になったり、なんやらかんやら。ああじゃこうじゃと時間が流れた。
で、子規は新聞社に就職した。俳句などの文化面を主に担当したらしい。
「日本」という新聞を出す会社で、陸羯南が社長を務めていた。あまり発行部数は伸びなかったらしい。
陸羯南と言えば歴史の教科書にも載るようなジャーナリズム史上の大人物なのだけど、その方面はあんまり知らない。
子規にとっては、一生の大恩人という言葉で足りるか分からんほどに世話になりまくった、稀にみる親切者だったという方が、ワタシの興味を引くです。
この羯南という人は写真が残ってるんだけど、なかなか良いオトコだと思う。
なんというか、ふわっとした柔らかさを湛えたナイスミドルだね。こんな人に優しくされたら、ついついフラフラと。そっちの趣味はねーがな。
良いオトコと言えば、ワタシの好きな土方歳三も良いオトコでしてね。
大河で新撰組をやった時に山本耕史さんが演じたんだけど、写真で残ってる歳三に結構似てる。
暇な人はググってみるといいです。惚れるぜ。
香取さんの近藤勇は全然似てないwww
あるとき、新聞社で記者の仕事をしてる子規の下に地元の後輩がやってきた。
曰く、新聞記者になりたいのだけど、朝日新聞と「日本」どちらにしようかな、という相談である。
朝日新聞とは、今日でもお馴染みの朝日新聞である。
以下、引用。
朝日は月給が高く、日本は新聞界でももっともひくい。
「考えるまでもないがの。日本におし」と、子規はいった。
その理由が、ふるっていた。
「人間のえらさに尺度がいくつもあるが、最小の報酬でもっとも多くはたらく人ほどえらいひとぞな。一の報酬で十の働きをする人は、百の報酬で百の働きをする人よりえらいのぞな。」
実は、このセリフをワタシ自身がよく解釈できてなくて、結局このセリフの何に感銘を受けてるのか自分でも把握してない。
なのに、何でか知らないけどこのセリフが好きで、子規の言う人間のえらさってのは確かにこういうものかもしれないなと思ってるのです。
さらに、引用。
「人間は友をえらばんといけんぞな。日本には羯南翁がいて、その下には羯南翁に似たひとがたくさんいる。正しくて学問のできた人が多いのじゃが、こういうひとびとをまわりに持つのと、持たんのとでは、一生がちごうてくるぞな。安くても辛抱おし。七十円や八十円くれるからというてそこらへいくのはおよし(注:日本の初任給は15円だった)。あそばずに本を読みや。本を読むのにさほど金は要らんものぞな。」
子規の価値観が窺える良いセリフと思う。
労働に対しては正当な対価をってのは当然の要求と思うんだけど、それに縛られて人としての品位を貶めてはいけんぞな。志を高く学を深めることが大事ぞな、と子規が言っているような気がする。
なんとも身につまされるです。
ともあれ、このセリフはこの後輩の琴線に触れたらしい。彼は日本に入社し、先の子規の教えを座右の銘として生涯を送ったらしい。名を寒川鼠骨という。
結局「日本」は1914年に廃刊になった。
余程、経営が苦しかったらしい。
子規と言えば野球との関連が深いのは有名であります。
"ベースボール"に伴う外来語を日本語に訳したのですね。打者とか四球とかそういうの。
子規は相当野球好きだったらしく、病気で吐血してるというのに、ちょっと落ち着くと野球しに行ってしまったらしい。
「いそのー野球しようぜー」である。
ベイスターズは今年も弱かったです。うぐぐ。
で、子規は新聞社に就職した。俳句などの文化面を主に担当したらしい。
「日本」という新聞を出す会社で、陸羯南が社長を務めていた。あまり発行部数は伸びなかったらしい。
陸羯南と言えば歴史の教科書にも載るようなジャーナリズム史上の大人物なのだけど、その方面はあんまり知らない。
子規にとっては、一生の大恩人という言葉で足りるか分からんほどに世話になりまくった、稀にみる親切者だったという方が、ワタシの興味を引くです。
この羯南という人は写真が残ってるんだけど、なかなか良いオトコだと思う。
なんというか、ふわっとした柔らかさを湛えたナイスミドルだね。こんな人に優しくされたら、ついついフラフラと。そっちの趣味はねーがな。
良いオトコと言えば、ワタシの好きな土方歳三も良いオトコでしてね。
大河で新撰組をやった時に山本耕史さんが演じたんだけど、写真で残ってる歳三に結構似てる。
暇な人はググってみるといいです。惚れるぜ。
香取さんの近藤勇は全然似てないwww
あるとき、新聞社で記者の仕事をしてる子規の下に地元の後輩がやってきた。
曰く、新聞記者になりたいのだけど、朝日新聞と「日本」どちらにしようかな、という相談である。
朝日新聞とは、今日でもお馴染みの朝日新聞である。
以下、引用。
朝日は月給が高く、日本は新聞界でももっともひくい。
「考えるまでもないがの。日本におし」と、子規はいった。
その理由が、ふるっていた。
「人間のえらさに尺度がいくつもあるが、最小の報酬でもっとも多くはたらく人ほどえらいひとぞな。一の報酬で十の働きをする人は、百の報酬で百の働きをする人よりえらいのぞな。」
実は、このセリフをワタシ自身がよく解釈できてなくて、結局このセリフの何に感銘を受けてるのか自分でも把握してない。
なのに、何でか知らないけどこのセリフが好きで、子規の言う人間のえらさってのは確かにこういうものかもしれないなと思ってるのです。
さらに、引用。
「人間は友をえらばんといけんぞな。日本には羯南翁がいて、その下には羯南翁に似たひとがたくさんいる。正しくて学問のできた人が多いのじゃが、こういうひとびとをまわりに持つのと、持たんのとでは、一生がちごうてくるぞな。安くても辛抱おし。七十円や八十円くれるからというてそこらへいくのはおよし(注:日本の初任給は15円だった)。あそばずに本を読みや。本を読むのにさほど金は要らんものぞな。」
子規の価値観が窺える良いセリフと思う。
労働に対しては正当な対価をってのは当然の要求と思うんだけど、それに縛られて人としての品位を貶めてはいけんぞな。志を高く学を深めることが大事ぞな、と子規が言っているような気がする。
なんとも身につまされるです。
ともあれ、このセリフはこの後輩の琴線に触れたらしい。彼は日本に入社し、先の子規の教えを座右の銘として生涯を送ったらしい。名を寒川鼠骨という。
結局「日本」は1914年に廃刊になった。
余程、経営が苦しかったらしい。
子規と言えば野球との関連が深いのは有名であります。
"ベースボール"に伴う外来語を日本語に訳したのですね。打者とか四球とかそういうの。
子規は相当野球好きだったらしく、病気で吐血してるというのに、ちょっと落ち着くと野球しに行ってしまったらしい。
「いそのー野球しようぜー」である。
ベイスターズは今年も弱かったです。うぐぐ。