お食事中の方はゴメンナサイ。
先にお詫び。やや下品な話です。
俳句・短歌と言えば、学生時代に国語の授業でひどく退屈した記憶しかないです。
今翻って考えてみると、歌詞のご先祖様だったのかなと。
俳句なら5-7-5でまとめるとか、季語を入れるといったルールがあるのだけど、
これってリズムや単語から広がる光景を大事にしてるってことで。
現代の歌詞と似てる部分あるよなーと思いました。
俳句・短歌なんてワタシはこれっぽちも分からない人間なんだけど、正岡子規も登場することだし、ここは一丁触れねばなりますまい。
真之、少年時代は大層な悪ガキだったらしい。
頭の働きも身のこなしも機敏だったらしい。
悪ガキにして賢いってのは、周囲の大人からしたらなんとも始末に負えない。
真之の頭脳の働きが日本を救うことになるのだけど、それはまだ先の話。
子供時代の段階ではちょっとアレな歌を詠むのにその才能は使われていたようだ。
「雪の日に北の窓開けシシすれば あまりの寒さにちんこちぢまる」
雪の日に厠に行くのを面倒に思った真之が、窓を開けて"してしまった"際に詠んだ歌である。
これを読んでワタシはゲラゲラ笑ったのだけど、読んでみると非常にテンポの良い歌ということが分かる。
さらに恐るべきは、後年になって正岡子規(真之と子規は親友)が提唱した"写実主義"にピッタリ合致していることだ。
この写実性の高さを見よ、とワタシは声を大にして言いたい。ゲラゲラ。
子供の悪ノリとは、時にこうも輝かしい。
ワタシが子供の頃、同じクラスに絵の上手い子がいたんです。絵といっても漫画っぽいやつ。
その子がショートストーリーを作りながら、ノートにさらさらっと絵を描いていくんだけど、絵もストーリーもとても面白くて、休み時間のたびに人が集まってたのを思い出した。
真之のコレと何か似てる気がする。
現代のお父さんなら、ココは怒るところであろう。トイレに行け、と。
が、真之の父親はこの短歌(笑)をみて
「わしも立ち小便はするが、こういう歌は作れぬ。」と密かに感心した。
どこから突っ込んでいいのか分からないけど、この父親はこういう人物だったらしい。
あるいは、これがこの時代の一つの典型だったのかもしれない。よくわからない。
典型だとすれば、随分と伸びやかな空気だなぁ
とりあえず、、、「オヤジ、立ち小便するなよwww」
全然関係ないけど、"シシ"が転じて"しーしー"っていう表現になったのかな。
先にお詫び。やや下品な話です。
俳句・短歌と言えば、学生時代に国語の授業でひどく退屈した記憶しかないです。
今翻って考えてみると、歌詞のご先祖様だったのかなと。
俳句なら5-7-5でまとめるとか、季語を入れるといったルールがあるのだけど、
これってリズムや単語から広がる光景を大事にしてるってことで。
現代の歌詞と似てる部分あるよなーと思いました。
俳句・短歌なんてワタシはこれっぽちも分からない人間なんだけど、正岡子規も登場することだし、ここは一丁触れねばなりますまい。
真之、少年時代は大層な悪ガキだったらしい。
頭の働きも身のこなしも機敏だったらしい。
悪ガキにして賢いってのは、周囲の大人からしたらなんとも始末に負えない。
真之の頭脳の働きが日本を救うことになるのだけど、それはまだ先の話。
子供時代の段階ではちょっとアレな歌を詠むのにその才能は使われていたようだ。
「雪の日に北の窓開けシシすれば あまりの寒さにちんこちぢまる」
雪の日に厠に行くのを面倒に思った真之が、窓を開けて"してしまった"際に詠んだ歌である。
これを読んでワタシはゲラゲラ笑ったのだけど、読んでみると非常にテンポの良い歌ということが分かる。
さらに恐るべきは、後年になって正岡子規(真之と子規は親友)が提唱した"写実主義"にピッタリ合致していることだ。
この写実性の高さを見よ、とワタシは声を大にして言いたい。ゲラゲラ。
子供の悪ノリとは、時にこうも輝かしい。
ワタシが子供の頃、同じクラスに絵の上手い子がいたんです。絵といっても漫画っぽいやつ。
その子がショートストーリーを作りながら、ノートにさらさらっと絵を描いていくんだけど、絵もストーリーもとても面白くて、休み時間のたびに人が集まってたのを思い出した。
真之のコレと何か似てる気がする。
現代のお父さんなら、ココは怒るところであろう。トイレに行け、と。
が、真之の父親はこの短歌(笑)をみて
「わしも立ち小便はするが、こういう歌は作れぬ。」と密かに感心した。
どこから突っ込んでいいのか分からないけど、この父親はこういう人物だったらしい。
あるいは、これがこの時代の一つの典型だったのかもしれない。よくわからない。
典型だとすれば、随分と伸びやかな空気だなぁ
とりあえず、、、「オヤジ、立ち小便するなよwww」
全然関係ないけど、"シシ"が転じて"しーしー"っていう表現になったのかな。