選択を重ねて、
小さなことでも実践を積んで、
削がれ、スタイリッシュ、というと古臭いのか、
スタイルのある歳を重ねた人、
になっていなくては—
軽く、動ける人でいなくては
行き詰ってしまう、老いてしまう、生きていきにくい気がする。
いまどきは親の権威はつくづくない。
明確な経済的メリットをあげていたら感謝するかというと
それもどうやら違うらしい。
母娘。
いつも試されている、見られている、そして甘えもされる。
親としては何か、生きる覚悟みたいなもの。
絶対的なしあわせを手にしていたいと思うこの数年。
生きてきた自信、自分の生き方が紆余曲折あっても、
なにかの実績や糧になっている、と示せるということか。
奇しくもこの数か月で、人に教えることになる機会が
増えている。ジャンルも今まで経験あるもの、初めてのもの、考えもしなかったもの、etc..
職場ではその部署ではミスマッチなところがありつつ、
他部署のヘルプを兼務する形でそれもまた、定着してきている。
変化続きの生活も長くなってきて、
もともと何で行き詰まり、どうしたかったのか、もわからないほどになってくる。
それをまた、お店の人としゃべりながら思い出してみたり。
飲食や買い物も好きな場所でする、ということが
大切なのかも、と振り返ったりする。
なにげない、努力でもない継続がじぶんを支える場になってくれたりする。