1. 日本軍と中国共産党が共謀していた
 

先日、新唐人TVのビデオで「日本軍と中国共産党の共謀」が紹介されていました。日本軍と中国共産党が共謀していた話は陰謀論のような空想話でなく、元外務省の岩井英一自身が描いた回想録『回想の上海』(「回想の上海」出版委員会発行、1983年)の中で描かれたものです。

 

また、駐香港日本領事館にいた外務省の「小泉清一のインタビュー」からも裏付けられたものです。つまり、複数の当事者からの告白です。毛沢東は中華人民共和国が誕生してまもなく、自らの「個人的な意思決定」により、日本軍と秘密裏に交渉した饒漱石、潘漢年、揚帆、袁殊など1000人ほどを一斉に逮捕し投獄します。毛沢東は秘密交渉の関係者たちから秘密が漏れることを恐れ彼らを抹殺しました。しかし、毛沢東が「五族共和」を受け継いだことは中華人民共和国の領域を見ればわかることです。
 

 

2. 中国共産党の軍事部門と通じていた岡村寧次とは
 

岡村寧次は中国共産党の軍事部門と通じていました。その彼は東條英機と深い関係があります。つまり、彼は軍部の薩長閥排除の密約である「バーデン・バーデンの密約」の参加者の一人です。彼は1921年の欧米出張の際、10月にドイツのバーデン・バーデンでスイス公使館付武官永田鉄山・ロシア公使館付武官の小畑敏四郎と会い翌日に東條英機と合流しました。
 

バーデン・バーデンの密約の目的に「派閥解消」がありますが、単純に戊辰戦争で勝った側の薩長閥の排除が目的です。薩長閥は天皇陛下至上主義です。旧幕府勢力はいわば「反天皇陛下至上主義の集まり」ですから、彼らが「昭和維新」と称し「明治維新の復讐」を果たすのは当然だと思います。
 

また共産主義では「元首の否定」を信条にしますので旧幕府勢力との親和性も良かったと思います。孫文が「共産主義迎合」になってしまった影響を彼らも受け「共産主義と共闘する方針」を取り易かったと思います。そのおかげで大アジア主義の思想はそっくり日本軍から中国共産党へコピーされました。(中国共産党が大アジア主義に接する最初は「第一次国共合作」の時でして、これは以前のブログに書きました。)

 

 

3. 中国共産党の周恩来と通じていた都甲大佐とは
 

東條英機が憲兵隊を活用し暗黒政治をしたことは以前のブログに書きました。東條は軍事資料部を東條英機陸軍大臣直轄の防諜機関にしたそうです.この諜報組織に「ヤマ機関」と言うのがあって暗黒政治の一翼を担っていたそうです。

で、この防諜機関には東條が首相になった1941年に三国が専任部長として就任し、以降終戦まで桜井鐐三、上田昌雄、「都甲徠」、岩畔豪雄が就任したそうです。この「都甲徠」という人が中国におけるスペシャリストであり、この人が現在「日本軍と中国共産党の共謀」の資料で出てくる「都甲大佐」です。
 

彼らの口は堅く戦後も具体的な話は一切しなかったそうです。そりゃ、日本軍と中国共産党が手をつないでいたと知ったら多くの日本軍の軍人が激怒すると思います。特に皇道派の軍人なら怒り狂ったはずです。
 

 

4. 中国共産党は大アジア主義を受け継いだ
 

前のブログに「五族共和に伝染した毛沢東」という文章を書きました。
 

以上のように毛沢東は第一次国共合作の時だけでなく日華事変の戦争中であっても日本と交流を持ち影響を受け続けたのです。中華人民共和国の領域が5民族を含む理由がここでも裏づけられたわけです。それと同時に当時東條英機が日本の政治の中心にあって何をしていたか見えてきます。日本国民をあれほど締めつけるには「それなりの裏」があったわけです。
 

大アジア主義は中国共産党によって継承され、その思想が「中華人民共和国の拡張政策の原動力」となり、今の日本を苦しめ多くの国に脅威を与えています。