8月は、自分にとって公正で適切な判断を実践してみて、
広がりや昂揚感、高みを体験すると同時に、
さまざまな波紋が自分の人生に起こってきたのではないでしょうか?
水面に落ちた雨だれがつくる波紋を見ると、
その影響が大きさを増して広がっていく様が見て取れます。
波紋がいつくも発生すると、波紋どおしが出会います。
すると、同調して強まる箇所と、干渉しあって打ち消す箇所が出てきます。
今月は、まず最初に、また一つ、
大きな何かを手放すプロセスが始まります。
掴んでいるものを放す、自由にする、捨てる、あきらめる、許す....
捨てるというニュアンスは少々違かもしれません。
あなたの中から何かを、本当に完全に消し去ることはできません。
そうではなくて、その対象から干渉的な影響を
受けなくなるのが、手放したということです。
手放したとき、その状態にはグラデーションがあります。
考えても別に影響を受けない、あまり思い出さない、
まったく思い出さない。
そのうちのどれであってもいいのです。
パラドックス的ですが、何かを捨てよう、手放そうとすると、
そこに意識が向くので、影響は強まるのです。
消し去るというのは、強い反応であり、
強く関わっていると同じことになりうるのです。
だから、手放すことに取り組み続けないでください。
ただ、静かに、
この干渉は自分を打ち消す方向に働くなと、気づくだけです。
そこで留めます。
今月、あなたを待っているギフトは手放す味わいではなくて、
豊かさを手にする道を結晶化していくことです。
決まっていくのです。
干渉が少なくなると、先月始まった「公正で適切な判断」の強まりに
引き続いて、思考の復権が本格化します。
さて、思考の復権の先には、何があるのでしょう?
思考ではなくハートで感じましょう
思考は脇に置いて、直観に従いましょう
いつまで私たちは、そんな風に
思考とハートを二つの部品のように扱うのでしょうか?
ハートは、命=スピリットに一番近しい領域です。
命がなければ、思考は存在しません。
思考は、もともとは、直観的なハートのエネルギーや
叡智を表現するためにあります。
思考がなくても命はあるから、やっぱりハートのほうが大切だ、と
思うかもしれません。
ですが、「思考ではなくハート」という分離的な切り口から
自分を眺めていると、本来の在り様である
「包括的な存在としての自分の味わい」が損われ続けます。
内臓と細胞と血液とetc.を集めても、人間が作れないように、
わたしという存在は思考とハートと体という部品が集まったものではありません。
実は、どのような存在も部分の集合ではありません。
命あるものも、ないものも....
私が見ている世界がわたしの世界であるなら
宇宙とわたしが一つの存在であるなら
自分が神のわけ御霊であるなら
なぜ、ハートと思考を部品のように別扱いにし続けるのでしょう?
不調和な状態にあったものを方向転換するために
「思考ではなくハート/直感を大切にする」という訓練も有効ですし、
必要な時期もあるでしょう。
あなたはそこにとどまりますか?その先に向かいますか?
9月にわたしたちが向き合おうとしていることは、
思考、ハート、行動という部品が集まった自分ではなく、
「わたし」という包括的な存在として、
今いる世界に何かを完成させ、分かち合うという決意と、
そしてそれを実現することなのです。
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