『祈りの力 笑いの力』にまつわるあれこれ ー オカン祭り その3 | 分散と結晶化★岡田 歩のブログ

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前回、オカンが死にかけたのは、4年半前。
もう、そんなになるんだなぁー。
C型肝炎のインターフェロンの治療の副作用が強すぎて、救急車。

そして、それから、数ヶ月後、憩室炎症をなんども患って、数週間の絶食とか、入退院を繰り返していました。
そのときの体験のブログ記事『祈りの力 笑いの力』を旧ブログから再掲します(オカン祭りってことで)。

2010年02月24日の記事

突然ですが、わたしは生まれも育ちも北海道の道産子です。
でも、寒いのは超苦手、だから、雪が積もるころには絶対に帰省しないように心がけています。

でも、今年は、一年で一番寒い2月の上旬。
雪祭りの真っ最中に北海道に行きました。しばれるー。

雪祭り鑑賞ではなくて、母の緊急事態のためでした。
その経緯は.....

うちの母、一般には治らない(あるいは治りにくい)とされているさまざまな持病を何個も何十年も抱えています。
それでも、一人娘が勝手な人間ななので一人暮らしでがんばっております。

昨年の年末から、腹痛や、腰痛や、高熱で、歩けなくなり、救急車で病院に運ばれることが2回続き、2月まで、入退院を繰り返していました。
なかなか原因がわからなかったものの、最終的には新たに憩室炎が発症したことがわかり、絶食&抗生物質の点滴で治療して、炎症はおさまり、明日にも退院という時になって、また高熱と激しい腹痛になり、退院は延期。また、抗生剤での治療が始まりました。

そのとき、東京いる私にメールがきました。
「これから、婦人科の検査。なんだか怖いから、祈ってほしい。」

これを読んで、わたしはちょっと気が動転しました。
これまで、どんなに大きな手術や治療のときでも、お医者様に今回はあぶないと言われたときでさえ、北海道に帰ってきて見舞ってほしいとか、手術に付き添ってほしいなんてことを、親元を離れた一人娘のわたしに言ったことはありませんでした。

いつも、「こなくていい、大丈夫、病院にいるから」と、私に面倒や心配をかけないようにしてくれていました。

母は、私のヒーリングの仕事に理解もあるし、ヒーリングを信じてもいるけれど、ヒーリングをやってくれとか、祈ってほしいなんて、母のほうから言ったことは一度もありません。っても、がんばりやさんで、人に頼むのが超苦手なの。

帰省したときは、もちろん、ヒーリングやらマッサージやらを母にすることはあります。ただ、ヒーリングでちょっとした痛みが取れるとか、気持ちがいいとかはあっても、どの病気をとっても治るといったた結果になったことは、これまでありませんでした。他のヒーラーさんに、遠隔ヒーリングをお願いしたこともあったけど、同じです。何も治ったことがない。

ヒーリングのプロセスっていうのは、本当に人が計り知れないところにあって、なぜ、母の病気や痛みが何一つとして完治しないかは、私にははわかりません。母にももちろんなぜかはわかりません。

もちろん、母のものの考え方が、ネガティブで病気を引き寄せるだの、長引かせるという考えか方があるのは知っています。

でも、それも一面的な見方であって、どれぐらいの割合で真実かはわかりません。それに、とってもネガティブな考え方をする人でも、ぴんぴん元気な人だってたくさんいます。人間は、そして物事はとっても多様なエナジーから成り立っているので、A=Bのように簡単に言い切れることなんて、あまりないのだと思うのです。

A=Bで説明できるように見えることがあっても、たまたま、それはまっただけで、実際には、さまざまなほかの要素も同時に働いているというのが、実際の姿なのではないかと思っています。

とにかく、母の身体のことに関しては、ただ、それを体験することがたぶん必要なことなんだろうと思う。
というか、それが必要なことかどうかさえ、実はどうでもよいし、誰にもわからないことであって、母はそれを『生き抜いている』ということだけが私にわかることでした。


<まだまだ続く>