こんにちは、岡田歩です。(自己紹介はこちら)
あたりまえの対義語は感謝
無関心の対義語は愛
さて
囚われの対義語は?
ぱっと思いつくのは
自由
かな?
私がおすすめしたいのは
自制心!
えっ?
と、思うかもしれないよね。
私も、数年前だったら、「えっ?」だった。
メンターに「自制心」の話をされても
まったく覚えていなかったぐらい
自制心という言葉は、まったく私の中に入ってこなかった。
自制心なんていったら
我慢の仲間のように感じちゃうもんね。
我慢は、体にも心にも無理があります。
負荷がかかるし、エネルギーの通りが悪くなるから
不要な我慢はやめるにこしたことはありません。
自制心は我慢の仲間じゃないのよ。
囚われって
固定した考え方や価値観に束縛されていたり
ある行動以外を選択できないこと
です。
後悔するのについやってしまうこと
ってありませんか?
甘いものを食べないほうがいいのになー
と思いながらも、食べないことを選択できない。
翌朝つらいなぁと思いながらも
スマホの電源を切ることを選択できない。
気が付いたら、すでに自分を責めていた。
甘いものを食べるのも、食べないのも
どっちの思いも自分の味方。
食べたら美味しいし
体重が増えないと嬉しい。
動画は楽しいし
翌朝元気なのも嬉しい。
自分を責めないと気分がいいし
自分がよりよくなったらそれも嬉しい。
ということは、すべてが幸せを向いています。
意識的にも無意識的にも
なんとかして、自分を幸せにしようとしています。
だからさ
どうやら、自分にとって幸せは
いつなんどきも大事なことだということを知ろう!
そして、ことあるごとに
幸せの選択をするを自分にゆるす。
そのうち、より研ぎ澄まされた
決定的な幸せを自分にゆるしたくなったとき
自制心の別名は選択で
自制心は自由の仲間だということに、ハッとします。
いつもの行動を自動的にする前に
「ちょっと待って、どっちを選択する?」と立ち止まり
本当に大切なものを選択できる自由。
それが自制心なのよ。
ネガティブな自動思考が起きるパターンがまた始まっていることに
「気づいたら」、
ちょっと立ち止まって、深呼吸でもして
このまま思考に意識を向けるか
他のところに意識を向けて、ただちに思考から離れるかを
選択できる自由。
それが自制心。
囚われに気づいたら
いつでも、理由なく、違う選択をして大丈夫。
違う選択をするための理由もいらなければ
準備も必要ありません。
だって、わたしたちのの根本は気づきであり
自由だから。
今、全部食べるのが本当に求めていることか
1個にしておくのが本当に求めていることなのか?
★
試合に向けて、キックボクシングの自主練を始めて2週間。
試合に出ることにしたら、練習の強度が上がってね
殴るのが趣味から、殴られるのが趣味になりつつあって
それはとても悲しいから、殴られないですむ自主練を始めたの。
かなり楽しいんだけれど、だいぶん疲れがたまってきた。
いったん動き始めると、アドレナリンやらエンドルフィンがドバドバでるので
ぜんぜん動けちゃう。
やったことないことだから、どれぐらいの練習で、
どれぐらい体がまいっているのかとかわからならいのよ。
今朝も、めっちゃ練習に行きたかった。
練習しないと、また殴られちゃうし、体力がつかないし
ダメかもという声も聞こえる。
こんなところでも、自制心。
本当に大切なのは何か?
そこから、習慣でもなく
恐れでもなく
慣れでもなく
こうしたらこうなるという推測や信念でもなく
選択できるのが自由です。
というわけで、今日は、練習しないで、
瞑想して、仕事して、買い物して、
焼き鳥を買って美味しい日本酒をいただく日になりました。
なんだかわからない花火大会が3分ぐらい開催されて
終わってた!