過労死への道 その1 | きりんのブログ

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妻がブログを始めたのでいろいろとネタを提供するも、ある時から「よーわからん」ということで、解説とか書き始めました。

社長の口癖

第1条、サラリーマンは奴隷と一緒てす。

第2条、◯◯は仕事が遅い。

第3条、◯◯はレベルが低い。

第4条、うちの仕事は3年くらいではできるようにならないくらい難しい。

第5条、社会人として常識だ。

第6条、◯◯は、他社でも通用しない。
第7条、頭悪いやつやな。
第8条、何時間かかってるんだ、俺だったら10分でできる。

第9条、◯◯は小学生レベルです。

第10条、

第11条、


転職してからもうすぐ3年。

過酷な労働環境にあって、全身のしびれ(特に指先がうまく動かせない)意識障害、全身のうっ血感、血流が止まっていくという感覚。

いよいよ死期が近づいてきたのだろうかとと感じたため、まだ意識があるうちに、これまでのできごとを遺していこうと思います。


私は自分で学費や生活費を稼ぐために働きながら京都工芸繊維大学に通っていました。その時からこれまでに経験してきた職場は、イズミヤの早朝バイト、酒屋の配達、レンタカー屋、電気工事業者、マンションの一室にあるお寺(正体不明)、化粧品の訪問販売、予備校、学習塾、自動車整備工場、パソコンの家庭講師などなど。それぞれを点々としたわけではなく自動車整備士や電気工事士の資格を取るまでの期間限定のものも含めて、ほとんどが掛け持ちでした。

大学卒業後は大手自動車メーカー15年、大手鉄道事業者8年、これまでにも小さな会社との関わりも多くあり、立場としても現場の作業者から管理職まで経験しているため、限定的な視点ではないつもりです。


2024年4月現在、私が働いでいる会社は大阪府豊中市にある経営者2名と従業員12名の電気機器を設計、製造、販売した装置のメンテナンスを行っている会社です。


仕事の内容としては機械好き、DIY好きの自分にとっては大変魅力的な内容だと感じました。転職前に面接を受けたときには「だいたい皆さん定時で帰られています」ということで、基本給も半分くらいになりますが、それでも今の風呂敷残業の毎日よりは時間的にもゆとりがあって、それでも好きなことができるならいいだろうと考えていました。その一方で、2020年の12月頃から面接や見学で何度も会社を訪問して、そこで働く従業員の構成や勤続年数や会社の抱える課題が見えてきたとき、離職率が相当高い職場であるということはわかりました。実際に、初めて会社を訪問した2021年の4月から、入社を決意して、6月に入社をするまでの間にに4人の方が退職されていたのです。


元の職場に退職届を出して、転職先に入社の意思を伝えてから、短期間のうちに人が退職していかれ、「入社までに誰もいなくなるのではないか。」

「もしかして、取り込み詐欺か何かの事件に巻き込まれてるのではないか」などと、ネガティブの血が騒ぎましたがそうではありませんでした。