鍼灸治療

 

 

膠原病内科へは、

月に一度検査を受けに行くことになった。

 

検査では異常は認められる。

 

でも、かといって

さしたる処置があるわけではなく、

これまでと同じように、

診察で症状を話し、

薬を勧められ、

帰路につく。。

 

 

その繰り返しだった。

 

 

やるせなさが募る中、

まだ両肘が腫れたままの私は、

部屋のすぐ近くにある鍼灸院に

治療を受けに行ってみた。

 

 

鍼灸師さんは、60代前後のベテランの方。

 

お客さんは

次から次へとやって来ており、

お店は大繁盛の様子。

 

 

 

お弟子さんに仕事を振ったり、

教えたりしながら、

鍼灸師さんは

たくさんのお客さんを、

元気よく(威勢よく?)まわしていた。

 

 

わたしの症状を聞いた鍼灸師さんは、

 

「  3か月くれ!」

「 それで治らなかったら、自分には治せない! 」 とキッパリと言われた。

 

ハッキリと断言されるのが、気持ちよかった。

 

それは、治る可能性もあるという事!

 

私は、その3か月に賭けてみようと思った。

 

 

その日から、

鍼灸師の方に言われた通り、

週に3回通うようにした。

 

 

 

両肘の炎症で、生活は更に不便になっていた。

中でも、寝返りを打てないことが辛かった。

 

 

寝ているあいだの背中の痛みを

なんとかしたくて、

寝返りを打つ回数が減るマットレス(トゥルースリーパー)を買ったりした。

 

 

トゥルースリーパーのおかげで、

一晩動けない状態でも

背中の痛みはかなりマシになった。

 

 

 

でも、

この時以降、

このマットレスなしでは

痛くて横になれなくなってしまった私は、

 

実家や

妹の家に泊まりに出かける時も、

いつもこのマットレスと枕を持っていかなければならなくなった。

 

 

荷物が増えると、

彼や家族にかける手間も増える。

 

自分が「 お荷物 」だという気持ちも、大きくなった。

 

 

彼も、妹のまあこも、その旦那さんも

もちろん、

嫌な顔などひとつもせず、

いつもテキパキと

マットレスをくるんで紐でしばり、

車に積んでくれた。

 

 

どうにもならない症状と

どうにもできない私を、

どんな思いで見守ってくれていたのか・・・

 

 

今も、私には

想像もつかないけど、

 

私たちは、

ただ、漠然と、「 希望を見失わない 」

その一点で

結ばれていたように思う。

 

 

だれ一人、

「 もう無理だ 」 と言う人はいなかった。

 

 

「 絶対に、何とかしてやる! 」

 

私の強い意志を、

支えてくれていた。

 

 

その陰で、

私の今後のことを

深く、考えてくれていたと思う。

 

 

 

まあこは、

関西に戻ってからも

仕事や、ライフワークといえる音楽に

アクティブに活動していた。

 

 

東京にいた時も、

「 誰か一緒に音楽ができる人はいないか 」 と、

ネットでサークルを立ち上げ、

すぐに、数十人が参加するバンドサークルを作っていた。

 

 

その仲間は、

まあこの結婚式にも駆けつけてくれ、

関西にも会いに来てくれるほど

親しい友人になっていた。

 

 

彼女を中心に出来る輪は、

いつも明るく、賑やかだった。

 

 

そして、関西でも。

 

まあこは積極的に情報をとって、

好きなバンドのオーディションを受け、

ボーカルとなり、

ライブをし、

どんどん仲間の輪を広げて行っていた。

 

 

仕事をしながら

ライブをして、

ボイトレに励んで

合間には私の世話をし、

本当に、

パワフルな妹。

 

 

私にも友人たちを

どんどん会わせてくれたので、

いつしか私にも

新しい友人がどんどん出来て行っていた。

 

 

 

豆たんは、日々仕事に励んでいた。

 

 

仕事のやり方や、

成果の出し方、

 

相手のためになる仕事を

どうすればもっと出来るだろうか

 

 

試行錯誤し、

時には頭を打ち、

 

低迷期を続けたのちに、

また上昇する。

 

 

草むらに降りたのかと思えば

空高く舞い上がる

 

そんな姿に、

尊敬をこめて、

「 ひばり男 」 と呼んだりしていた。

 

 

豆しばなのか、

ひばりなのか、

 

彼はいつも、

目の前のことに

一生懸命に打ち込んでいた。

 

 

 

まあこのご主人は、生粋の東京人。

 

ただただ順応力が高い彼は、

関西へ転職後、

日々、たんたんと仕事に通い、

 

1年が過ぎたころには、

すっかり

なんちゃって関西弁が出るようになっていた。

 

 

 

 

何気ない日々の中、

 

刻一刻と、

時は流れ、

人は動き、

 

 

同じように見える景色は、

少しづつ

変わって行っていた。

 

 

 

ただ、

 

自分だけが

何も変わらぬまま、

 

痛みの地獄を生きていた。。

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                     音符

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今日もブログにお越しくださり、

ありがとうございました音譜 うさぎクッキー

Thank you so much for visiting my blog!

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