自分の生きにくさは自分の責任というか、自分の運の悪さだと思っていました。自分が悪い、自分が至らないから…
だから特に社会人になって仕事も何度か変わってもつらさが全然変わらないのは、自分の仕事選びがまずくて、そもそも自分に何かが足りないからだと。
でもあれこれやってみても、どうにもならない。ありがちですがスピリチュアル系もいっぱい頼りました。少し道筋は変わったとは思う、だけど楽しいとか幸せとか日々の中で実感できる状況にはならなくて。
で、そこを蹴り飛ばされたのが“ナリ心理学”のブログでした。
ナリ心理学のブログ、たくさん傷ついた方が読むと過激すぎて拒否反応起こすかもしれない。私はそこまでではなかったけど最初はハテナがたくさんついた。
だけどそもそも痛みは痛みで消すタイプだったので。そこを乗り越えて読み進めていったとき、ちょっと扉が開いた気がしました。
だがしかし。自分の親(特に母親)がまともか?なんて考えたことあります?
いわゆる毒親タイプを持つ方なら即答できるかもですが、別に虐待されてないし学校も行かせてくれたし、貧乏ではあったけれど不自由はしなかった。そう、貧乏だったけど普通の家庭だったとしか思ってなくて。
だからナリ心理学のブログを読み進めても、そこは他人事のようでした。
が、何きっかけだったかなー。父親かなー。うちの父親、他人の気持ちがわかりにくいっぽいんですよ。自分のことが中心になる。ってことがあまりに普通だったので、これがおかしくない?と気づかなかった。
これね、マジでヤバいのよん。私、セラピストをしていて精神障害とか発達障害とかの勉強もしてたつもりだったのに親族だと全然わからんもんなのね。
ナリくんの言葉で、父親って発達障害じゃね?とやっと思い始めて、かなりグレーだなと気づいて。そこから、この父親を伴侶として選んだ母親が真っ当か?と考え始めたわけ。
結果的にこのヒトも相当やばいなと。今までは普通に聞き流してた言葉を「なんでそんなこと言うの?」と尋ねていったときに答えが出てこなかったからね、どれも。母親は何もわからない人なんだと。
実感するのは、私自身もそうだから。深く考えたり先のこと考えるの超苦手なんです。頭真っ白になって浮かばない。母親もこういう感じなんだろうと。もっとひどいんだろうな。だから庇護が必要で父親を選んでる。
父親は優しそうに見えるし、犬猫ちゃんや赤ちゃんが大好きなんです。ま、大人に対しては違うけどね。自分中心になる。それが素で疑問も感じていない。指摘してもわからない。発達障害グレーだと思う箇所です。
と、まずは仮定してみたとしたら。そんな両親から生まれた自分がまともか?と。小さい頃から『普通になりたい』と思い努力してきたつもりの人生だった時点で違うんだが。でもちょっと違うだけで、まともではあるだろうと思っていた。思っていたかった。
でも、こんな母親の全コピーであり、そんな両親のミックスである自分がまともでわけないやん! 普通のわけないやん!
と降参してみて、初めて『そりゃ生きにくいわけだよな』と理解できました。
普通になりたいと苦労を重ねてきたつもりだったから、普通であることを目指して生きると余計つらいというのは悲しい。
でもその『普通になりたい』は母親の潜在的な意識なのかもと今では思います。母親は自分は普通だと思ってるかもしれないけど。普通でない母親を、その母親(私の祖母)は普通であるようにと育ててきたんじゃないかな。そのズレがゆがみとなって、母親が私を子育てするときに影響してる。
個性を生かすなんて時代じゃなかったからしゃーないのだろうけど。その影響は孫である私に降りかかってきて半世紀にわたって与え続けられてきた。
さて私は。このまま嘆いていてもいいのだけど、このしんどさからは逃れるよ。私が私のままで生きるとは。それを実践したくてお仕事も探しています。