この内容は5月から6月までに書き溜めていたものです。

 

自分自身の解毒のため不適切表現があります。

適宜スルーされてください。

 

実は私は

私は毒親育ちゆえわからなかったものがあります。

それは普通の愛情ある関係、家族関係です。

 

その家庭ごとに違うものがあるだろうし、

プライベートな部分なのですぐには形や

お互いの関係性が見えないところですよね。

 

自分の家はどこか変?と思っても、

生殺与奪の権が親にある以上どこにもいけない。

 

ウチは外とは違うなにかがある・・・

その空気感は感じてましたが何かずっとずっとわからなくてモヤモヤしてました。

 

宗教二世にも似た毒親育ちの閉鎖常識、

子供の頃の私は、

社会に出て何だか実家はよそとは違う概念がまかり通っているように感じていました。

 

両親の関係はパワーゲームで、

お互いがお互いを貶すようにしか見えませんでした。

父は身の回りのことを一切しませんでした。

人からしてもらって当然という態度でした。

 

母はお世話好きでした。

それも私からみたら嫌々やってるようにしかみえませんでした。

 

親しくしているブロ友さんが「外面が立派なあるお母さんのこと」を記事にされたとき、私はこのセラピストさんの記事を思いました。

  

 

 

 

けれどもこれは「共依存」と言う名の支配でした。

 

 要するに私の両親は不自然な関係でした。

家はいつも緊張が走ってました。

 

リラックスは害悪で怠け者でした。

赤ちゃん子供は「恥ずかしい、罪の塊」とみなされていました。

「罪の塊のくせに何も知らないでのうのうと生きている、馬鹿な恥知らずな存在」

と実家では見なされてました。

 

それを表に出すと流石にまずいので、

何もなかったように形だけニコニコするのが実家の両親のやり方でした。

 

彼らはその時だけ外面のいい俳優を演じてました。

 

私は自然体ってなんなのか知りませんでした。

 

家での自然体でいると外では変な人扱いでした。

 

私は私自身を生きていませんでした。

 

今更実家には帰りたくない。

でも我が子も殺したくない。

 

だから普通の人の仮面を被って演技をしていました。

 

結婚している限りこれをずっとやらないといけなかったんです。

 

娘たち夫婦の写真はお互いの間から親密さが漂ってきます。

人生の相棒、もしくは漫才の相方のようものを二人から感じます。

 

いい意味でお互いにカッコつけてなくて自然体です。

娘が結婚した当初は妬ましかったです。

 

元夫と私とのツーショット写真は、

元夫は私に対してのみならず世の中にシールドが貼っているようでした。

 

元夫からは、

私のことは自分の人生を叶える為の道具で家具だと言われたような気持ちがしました。

発言は許されないような。

彼が帰宅すると私はいつも体から血を抜かれる思いがしていました。

 

どこにも逃げ場がなかった最初の2年間は血を吐きそうでした。

 

私はずっと会話は「相手が話す言葉に耳を傾ける」だけと思ってきました。

元夫は私が疑問を呈したり意見を言おうとすると、

すぐに無機的な声で「俺のことを馬鹿にしているのか」「離婚だ」と言いました。

 

今なら元夫のしてきたことはモラハラだとわかるけども、

実家は父以外は発言権がなかったし、

実際は母の偏った嗜好で動いていたのでモラハラだとわからなかったです。

 

育った家の影響って怖いです。

 

長くなりそうなのでここで一旦切ります。