ここ最近、同僚や仲間から「子供が生まれました!」というおめでたい報告を続けて何件か受けた。
出産ラッシュである。
新たな命が生まれることは、心を揺さぶられる感動であり、本当に素晴らしい瞬間でもある。
私も3人の子どもがいるが、会社の理解もあって、3人とも子どもの出産に立ち会えた。
それはそれは感動する瞬間だった。
子を産む時、妻は人間から動物に変わる。
それだけ激しい出産には、生命誕生の壮絶さと神秘的な美しさをも感じる。
と同時に、男の無力さを感じ、本当に頭が上がらない。
そして何よりも、赤ちゃんが命懸けで出てきてくれたことへの感謝。最大限の敬意しかない。
人間界における母と子の最初の共同作業だ。
一方で、願っても子を授からない人達がいること、必ずしも全ての赤ちゃんが無事に生まれてくるとは限らないことも、しっかり目を向けるべきだ。
私の家族も流産を経験した。
生まれてから死産を経験する方もいる。
これはお母さんにとっては、とてつもない悲しみであり、夫がいくら優しい声を掛けたとしても拭えるものではない。
しかし、敢えて言いたいことは、お母さんのせいでもお父さんのせいでも無いと私は信じている。神のみぞ知る。
それだけに命の誕生というのは神秘であり、奇跡に近い出来事だと思っている。
よく、子は親を選べないと言うが、私はそうは思わない。
子は子の意志でしっかり生まれてくる場所を選んできていると、つくづく感じる。
それだけに、お腹に宿る前から、生まれる瞬間まで、赤ちゃんの苦労は親以上に大変なんじゃないかと思う。
だから、生まれてきた子をいっぱい褒めてあげたい。
『有難う』という言葉の本質はこれなんだと。
こういう話をすると、世のママからは一斉に批判を浴びる。
生まないヤツが偉そうに喋るな、と。
はい。仰る通りで・・・ぐうの音も出ません。
でも、もう少しだけ偉そうな話を続けたい。
生まれてくる命があれば、去る命もある。
第1話で書いたように私は生まれ変わりを信じている。
肉体や記憶は引き継がれないとしても、魂レベルでは必ず繋がっていると思いたい。
生きていることは神秘であり奇跡。
生まれる命あれば去る命もあるのがこの世のルールであるならば、できれば死を恐れることなく前向きに生きていきたい。
病気になって、なおさらにそう願うのである。
最後に、最近密かに思っていることがある。
世の中にはパワースポットと言われる場所がたくさんある。
大自然の海や山、荘厳な神社仏閣。
どれも大好きだし、どれも間違いなくパワースポットだと思う。
しかし、いつしか感じるのは、実は産婦人科が最大のパワースポットなんじゃないかと思っている。
常に新たな命が誕生している場所であり、その誕生を控えた命たちもまた、大きなお腹のお母さんと共に連日やってくるのだ。
これほどのパワーが溢れる場所はあるだろうか。
そう思った時、私は妻の付き添いで産婦人科に行くことが”より”楽しくなった。
最近は、病気のせいですっかりパワースポットと呼ばれる場所に行く機会も少なくなった。
先日行った榛名観光が久々だろうか。
さすがに産婦人科にはもう行けないと思うので、新たなパワースポットを発掘したい。