こうして、無事に第二クールの抗がん剤治療が終了した。

 

後は、かなり下がった白血球の数値が戻るのを待って、一時退院を待つ状況であった。

 

そして、この頃、骨髄移植に関する良い知らせが入った。

 

まだ確定ではないが、1人のドナーさん候補が見つかり、うまく行けば1カ月後くらいに骨髄移植ができるかもしれないということだった。

 

ぬか喜びはできないが、かなり時間がかかると思っていた私にとっては、思いがけずサプライズの知らせであった。

 

ただただ、確定の連絡を待つだけだった。

 

そうなると、並行して移植前の検査が色々と入ってくる。

 

第二クールまでを終え、いよいよ、最終章の骨髄移植に向けたストーリーが始まろうとしていた。

 

と、勝手に次のステップへ話を進ませようとしていた頃、水を差してくる奴らが現れた。

 

すっかり終わったと思っていた第二クールの副作用が、実はまさかのこれだけで終わりではなかったのである。

 

発熱が落ち着いた頃に、しっかりと第二弾の副作用を用意してくれていた。

 

発熱から平熱に戻って5日くらい経っただろうか。

 

何の前触れもなく、突然38.0℃の熱が出た。

 

そして、腰のあたりがズキズキと痛み始めた。

 

全くもって何だかよく分からない・・・。

 

熱も徐々に上がり、38.6℃まで上がっていた。

 

とりあえず解熱剤を飲んで安静にした。

 

なんとか熱は37℃代まで下がり、腰のズキズキも収まった。

 

しかし、今度は頭痛が起き始めた。

 

こうなると私の体はよくわからなくなってくる。

 

一晩明けると、今度は左の奥歯が痛み始めた。

 

これが地獄のスタートである。ここから3日間、とんでもない歯の激痛と闘うことになるとは、全く予想だにしていなかった。

 

最初は、あー歯が痛いなー、くらいの耐えられる痛みであった。

 

しかし、そこから少しずつ痛みが増していき、途中から突き刺すような耐え難きズキズキの痛みがひたすら続くようになった。

 

厄介なのは、私特有のあれである。痛み止めの薬が一切効かないのである。

 

飲み薬、点滴と今回もあらゆる薬で対処してもらったが、完全に効くものは一切無かった。

 

唯一の救いは、点滴をしてから1時間はかろうじて痛みが引くことであった。

 

しかし点滴は4時間に1回しか打てない。

 

つまり、残りの3時間は激痛に耐えながら、次の点滴を待つしかないのである。これが、涙が出るくらい辛かった。

 

入院当初を思い出すくらいの激痛と三日三晩、闘い抜いた。

 

途中、歯医者で診てもらったのだが、少しでも嚙み合わせによる痛みを軽減するために、歯を少し削る処置を行った。

 

これがまた、尋常じゃない痛みだった。

 

もう自分が大人であることを忘れるくらい、「あー痛い!痛い!」と涙を浮かべながら、歯医者中に聞こえるくらいで叫んでしまった。

 

「ごめんね。ごめんね。よく頑張ったね」。と、先生は先生で、子供をあやす様に私を慰めていた。

 

そんな3日間が続き、何とか痛みも収まってきた。

 

痛みの代償は大きく、左の頬っぺたが大きく腫れあがってしまった。

 

そして、あれだけ痛みに耐えたのに、この歯は今後の移植において治療のリスクになる可能性があるので、抜歯が必須です、と先生に言われた。

 

おい、マジかよ・・・。最後まで「抜きたくないです!」と抵抗したが、命には代えられないので、泣く泣く抜歯を受け入れる覚悟をした。

 

今回の第二クールも、充分過ぎる程、しっかりと副作用に見舞われてしまった。

 

私はこの治療を平和に進めることはできないのであろうか。

 

自分のこの副作用っぷりが情けなく、抗がん剤治療を行う度に、毎回落ち込むばかりである。

 

副作用が出ないあなた、なんであなたはそんなに強いのでしょうか。

 

さだまさし風に嘆いてみた。

 

隣の芝生は青いとばかりに、副作用が強い自分をひたすら責めるのであった。