東日本大震災から13年。
当時住んでいた埼玉県鴻巣市は 内陸部で
被害もほとんどなかったけど
この震災がきっかけで夫の単身赴任が決まったのだったわ。
震災3日目に辞令が降りた夫の転勤先に行くか、私の地元に帰るか。
埼玉に残る選択肢は無く、二週間後には引っ越さないといけない。
余震が続く中、新しい土地でまだ小さかった子ども達を守っていくことに不安を感じ、私の地元に戻ることを 決めました。
埼玉を離れるとき、たくさんの友達が別れを惜しんでくれて…
あの優しい町で、子育ての大事な5年間を過ごせたことは、すごく幸せな日々でした✨✨
関西に戻って、もう13年。
都度、自分で選択してきたはずなのに 流されるような日々の中で、人との出会いがたくさんあります。
これがいちばんの財産であると 心から思えます。
この13年の中で 大きな影響を与えてくれる人、
こんな風になりたいと思う人に出会えたことを考えると
あのとき、埼玉から地元に戻らなければ得られなかった 巡り合わせの妙を感じます。
生まれ育った土地で 人の優しさに包まれて過ごせたこともそうだし
今ある人間関係の誰も…側にいないと思うと
全てが輝きを持っていると実感します✨
今は簡単に会えなくなった友達も
思い出すだけで優しい気持ちになる
阪神大震災も 東日本大震災も、
大きな被害というカタチではなく、人との出会いと別れで
自分の生き方を考えるきっかけをくれました。
阪神大震災は22歳。
まだ実家暮らしだった。
震災で亡くなった近所のおじいさんのこと、今でも思い出します。
子どもの頃から優しく声掛けしてくれたおじいさんに、いつからか挨拶しないですれ違うようになっていました。
おじいさんが住んでいた木造住宅は、震災で崩れて燃えてしまいました。
「さよなら、またね」って別れて二度と会えなくなることがある。
挨拶なんて何の意味もない。なんてことは、ぜったいない。
今日も 笑顔でひとりひとりとの別れの瞬間を大事にします。
たとえ明日また会えたとしても
今もまだ、避難生活を強いられている方が
一日も早く穏やかな暮らしを取り戻せますように。
震災で亡くなられた方々の ご冥福をお祈りいたします。