前回のブログでも書いた通り、
先日の江戸遠征にて念願の田中忠三郎BOROコレクションを観ることが出来たワケですが、
なぜこれ程までに、そして今さら日本古来伝統の古着に魅せられ始めたのか?
今までは、やはり本物ヴィンテージジーンズの深いインディゴブルーの織りなす層にトキメキ、
更にはNIRVANAのKURT COBAINが履いてたリアルダメージジーンズや、継ぎ接ぎリメイクジーンズに格好良さを感じてました。
だけど、もうジーンズなんてマトモに履かなくなって6~7年経つんです。
何かダセーって感じてしまった。
何故かは解りません。
恐らく、僕が中学生の頃はlevi’sの501が新品で5800円くらいだったと思います。
それがドンドン値上がりし、今は1万超えてるんでしょ?
僕が若かりしあの時よりも景気は悪く、皆さん大人になってもそんなに金無いでしょ。
更には生産国もアメリカではなく、フィリピンやベトナムです。
何かおかしくないか?
そして、ジーンズメーカー以外のファストファッション業界がスタイルの良いモデルに履かせたジーンズを使い捨て価格で大量投下。
使い捨てですよ。
クソッタレ!!!
例えば、自分で作りたいTシャツがあって、
ボディの色や素材を考えて仕入れ、版を作るために休みや寝る時間を削り、プリントする塗料の組合せを考えて仕入れ、そして慎重にプリントする、売り方、見せ方を考える。
たった一枚作るのにどれだけの手間と時間が掛かるかってことだ。
それ故に値段も上がるんです。
機械を使ったり、安い賃金で長い時間、同じ物を大量に生産してくれる海外の人々をコキ使うファストファッション業界。
そして、消費者は安く、皆さんと同じ物で満足してる。
その満足はお洒落や個性とは真逆のモノ。
都会でしか買えなかったモノが今では地方でも買えたりする。
何処で食べても同じ味のファストフード食って、何処にでも居そうな格好して、お洒落気取る。
視野も感性も狭い範囲でウロウロ。
テレビ界や、凡ゆるサービス業界も少数派であるクレーマーの意見を尊重し、ドンドンつまらなくなってる。
当たり触りのない、安定的な社会なんて何が魅力だ!?
ココで言い始めたら止まらなくなる位にドンドン出てきますが、それを抑えて本題。
結局は、
全てにおいて ”もったいない精神” が無くなってるってことじゃないかと思うワケです。
田中忠三郎BORO展には沢山のエピソードや解説が貼り出されてました。
その中でも印象に残ってるのがこんなエピソードでした。
田中忠三郎さんが足繁く通った青森の婆さんの家があり、なかなか心開いてくれないが、通い続けて話し掛ける内に身の上話をしてくれるように。
そしてアンタはもう親戚みたいなもんだと言い、
昔は、寒いのに着る物がなかなか無く、貴重で、布生地ならどんな切れっ端でも大切に取って置いた。
子供たちもよく破いてしまうし、だからみんなが寝静まってから生地の切れっ端を当てて補修しては着続けた。
その切れっ端は母親や祖母から受け継ぎ、どんな小さな布でも取って置いたし、そして今でも大切に保管してある。
それが今となっては、家を出ていった息子や娘たちがそれらを見ては、
いつまでそんな汚いものを取っとくんだ、早く捨てろと言う。
この切れっ端のお陰で服を直し、寒さをしのいだ。また子供たちの為にと取って置いたもんをそんな言われ方をされたら悲しいと泣いて話したそうです。
そして、アンタが大事にしてくれるならとそれらの貴重な切れっ端を譲ってもらったそうです。
それらの切れっ端も額に入って展示されてました。
時は経ち、状況は変化しても、心持ちだけは確かに。
人やモノに対する思いやりの心を少しでも。
僕のステンシルTシャツもスプレーで染めてるようなもの。
優しく手洗いしたり、無添加洗剤を使えば、色も落ちにくい。
一枚しか作ってないものだから、その一枚一枚を大切に使って欲しい。
先日の江戸遠征にて藍染もやってきました。
漬けて、揉んで、出して、絞って、干して、叩いて、洗っての繰り返し。
一度染めでは中々染みこまない。生地によっては3~4回繰り返す。
僕は汗ダク、休憩無しの動きっぱなし3時間でようやく3枚でした。
濃い色にしなきゃいけないなら更に漬けていかなきゃならない。
本藍は日によって発酵状態も変わるらしく、染まりやすい日も染まりにくい日もある。
釜の管理もある。
恐ろしい手間と労力によって一枚が染まり上がるワケです。
身をもって知ることが大切。
また先日、飛騨高山にて素晴らしいタッツケ(股引)や藍染の襤褸、端切れの束を購入しました。高価なものではなく安価気味なものを。
全て天然であり、手作業の物。
BORO展での端切れエピソードを知って、より端切れに対する情も増す。
今、我が手元に来た様々な状態の端切れの数々。まだまだこれから手を加えてアジを出してくだろう生地もあれば、ココで朽ち果てそうなギリギリな生地もある。
ココに来るまでの年数を想像する。
その先も想像する、詫び。
また、終わりも感じる、寂び。
それが侘び寂びの精神です。
混在してるようだが精神姿勢は一本。
過去、現在、未来を見据え、置かれた状況をより良くする為の叛逆の意識で繋がってる。
現代のファスト化に対する叛逆。
本物はゆっくり作られる。
心を豊かにしてくれる物を受け継ぎ、それを大事にする心、その精神姿勢も受け継ぎましょう。
ゆっくりコツコツ。
質も上げて確実に。
バイバイ、またね。