777のクリスチャンへの警告と聖書 蛇のように聡く、鳩のように無垢であれ -9ページ目

777のクリスチャンへの警告と聖書 蛇のように聡く、鳩のように無垢であれ

今の時代を知って欲しい クリスチャン専用のブログ
終末におけるクリスチャンへの裁き、悔い改め、聖書の喩えをおもに書いています。
お勧めメッセージです。
http://www.remnant80153christ.com/

知恵袋を見ていたらこんなのがありました。


http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13118963258


バプテスト教会に所属するクリスチャンですが、執事及び牧師と一般会員との間に上下関係があり、困っています。他のプロテスタントの教会はどうなっているのでしょうか?

具体的には、牧師と執事には「先生」と呼ばないと話しかけることができません。ひどい執事だと「君」と付けて自分に話します。中には優しい人もいるようですが、事実上の上下関係があります。また、一般会員の人で無視をする人もいます。このままでは、プロテスタントでキリスト教を信仰するのが困難になります。もし、他のプロテスタント教会に移籍しても、同じ思いをしないかと心配です。カトリックに移籍しようと思っていて、神父(司祭)さんとは相談が進んでいます。ミサにも参加していて、自分は、カトリック教会のほうが優しい人、相性の良い人が多いと思います。クリスチャンの人で、良い助言があればお願いします。

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牧師と執事には「先生」と呼ばないと話しかけることができません。


約二千年前のファリサイ派らと同じですね


マタイによる福音書23: 6

また、宴会の上座、会堂の上席を好み、

23: 7

広場であいさつされることや、人々から先生と呼ばれることを好んでいる。

23: 8

しかし、あなたがたは先生と呼ばれてはならない。あなたがたの先生は、ただひとりであって、あなたがたはみな兄弟なのだから。

23: 9

また、地上のだれをも、父と呼んではならない。あなたがたの父はただひとり、すなわち、天にいます父である。

23:10

また、あなたがたは教師と呼ばれてはならない。あなたがたの教師はただひとり、すなわち、キリストである。


かえって僕のようにならないといけないのです、それをあらかじめキリストが実践して下さったのではないですか。


ルカによる福音書22:24

それから、自分たちの中でだれがいちばん偉いだろうかと言って、争論が彼らの間に、起った。

22:25

そこでイエスが言われた、「異邦の王たちはその民の上に君臨し、また、権力をふるっている者たちは恩人と呼ばれる。

22:26

しかし、あなたがたは、そうであってはならない。かえって、あなたがたの中でいちばん偉い人はいちばん若い者のように、指導する人は仕える者のようになるべきである。

l22:27

食卓につく人と給仕する者と、どちらが偉いのか。食卓につく人の方ではないか。しかし、わたしはあなたがたの中で、給仕をする者のようにしている。



聖書を読んでいるはずなのにこうなってしまう…なぜか?その一つが信仰と結びつかなかったから・・・です。


ヘブライ3:17

また、四十年の間、神がいきどおられたのはだれに対してであったか。罪を犯して、その死かばねを荒野にさらした者たちに対してではなかったか。

3:18

また、神が、わたしの安息に、はいらせることはしない、と誓われたのは、だれに向かってであったか。不従順な者に向かってではなかったか。

3:19

こうして、彼らがはいることのできなかったのは、不信仰のゆえであることがわかる。

4: 1

それだから、神の安息にはいるべき約束が、まだ存続しているにかかわらず、万一にも、はいりそこなう者が、あなたがたの中から出ることがないように、注意しようではないか。

4: 2

というのは、彼らと同じく、わたしたちにも福音が伝えられているのである。しかし、その聞いた御言は、彼らには無益であった。それが、聞いた者たちに、信仰によって結びつけられなかったからである。


まことに恐ろしいことです。

ユダ書5

あなたがたはみな、じゅうぶんに知っていることではあるが、主が民をエジプトの地から救い出して後、不信仰な者を滅ぼされたことを、思い起してもらいたい。

6

主は、自分たちの地位を守ろうとはせず、そのおるべき所を捨て去った御使たちを、大いなる日のさばきのために、永久にしばりつけたまま、暗やみの中に閉じ込めておかれた。


我々はおるべき所、地位をまもっていきましょう、新共同訳では領分です。


1:ユダの手紙/ 00章 06節
一方、自分の領分を守らないで、その住まいを見捨ててしまった天使たちを、大いなる日の裁きのために、永遠の鎖で縛り、暗闇の中に閉じ込められました。

聖書でやってはいけないという事をして、やりなさいという事をしないと滅ぶ例が沢山あります
それはもう聞いていますよね、信仰と結び付けていきましょう。
口語訳で座について検索すると83箇所ありました、座についてあまり評価されていないようなので調べてみました。
出エジプト記18:13

あくる日モーセは座して民をさばいたが、民は朝から晩まで、モーセのまわりに立っていた。


この箇所ではモーセが座していて民、つまりイスラエルの民に裁きをしていました、聖書にあるように神の御心ではなく神の御心の裁きをしていました、世の日本の裁きの座をみてみると、お殿様がいる時代と今の時代ではずいぶん方法も形式も違いますね、もう昔の裁きの仕方はなくなっています。

いつその時代の座がなくなるのか?腐敗したり、しっかり法にのっとってやってない場合にその時代の裁きの座はなくなる…これが歴史から見るとわかってきます、モーセの座も同じでした。


マタイによる福音書23: 2

「律法学者とパリサイ人とは、モーセのにすわっている。


ですが、モーセの座は神の御心ではなくなっていました、これは今のクリスチャンへの警告、型であることもわかりますね、最初はしっかりしていたのにだんだんとおかしくなってくる…

旧約時代のさばきの座が新約時代のさばきの座に移行したことが解ります。


こういう座もあります


ローマ14:10

それだのに、あなたは、なぜ兄弟をさばくのか。あなたは、なぜ兄弟を軽んじるのか。わたしたちはみな、神のさばきのの前に立つのである。

2コリント5:10

なぜなら、わたしたちは皆、キリストのさばきのの前にあらわれ、善であれ悪であれ、自分の行ったことに応じて、それぞれ報いを受けねばならないからである。


ここにも座があり、その座につくにはどうしたらいいのかが、なんと書いてあります。


マタイによる福音書19:28

イエスは彼らに言われた、「よく聞いておくがよい。世が改まって、人の子がその栄光のにつく時には、わたしに従ってきたあなたがたもまた、十二の位に座してイスラエルの十二の部族をさばくであろう。


御存じの通り地上の座は移り変わっても天の座は変わらないです。


ヘブライ1: 3

御子は神の栄光の輝きであり、神の本質の真の姿であって、その力ある言葉をもって万物を保っておられる。そして罪のきよめのわざをなし終えてから、いと高き所にいます大能者の右に、につかれたのである。



ペルガモの教会にはサタンの座があります、すごいですね しかし信仰を捨てないのが肝心です。


黙示録2:12

ペルガモにある教会の御使に、こう書きおくりなさい。『鋭いもろ刃のつるぎを持っているかたが、次のように言われる。

2:13

わたしはあなたの住んでいる所を知っている。そこにはサタンのがある。あなたは、わたしの名を堅く持ちつづけ、わたしの忠実な証人アンテパスがサタンの住んでいるあなたがたの所で殺された時でさえ、わたしに対する信仰を捨てなかった。


既にキリストが先に歩まれたので、その後に続く事が出来ます。


ヘブライ12: 2

信仰の導き手であり、またその完成者であるイエスを仰ぎ見つつ、走ろうではないか。彼は、自分の前におかれている喜びのゆえに、恥をもいとわないで十字架を忍び、神の御座の右にするに至ったのである。


黙示録3:20

見よ、わたしは戸の外に立って、たたいている。だれでもわたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしはの中にはいって彼と食を共にし、彼もまたわたしと食を共にするであろう。

3:21

勝利を得る者には、わたしと共にわたしのにつかせよう。それはちょうど、わたしが勝利を得てわたしの父と共にその御座についたのと同様である。



エゼキエル書6: 4あなたがたの祭壇は荒され、あなたがたの香の祭壇はこわされる。わたしはあなたがたの偶像の前に、あなたがたの殺された者を投げ出す。
6: 5わたしはイスラエルの民の死体を彼らの偶像の前に置き、骨をあなたがたの祭壇のまわりに散らす。
6: 6すべてあなたがたの住む所で町々は滅ぼされ、高き所は荒される。こうしてあなたがたの祭壇はこわし荒され、あなたがたの偶像は砕かれて滅び、あなたがたの香の祭壇は倒され、あなたがたのわざは消し去られる。
6: 7また殺された者はあなたがたのうちに倒れる。これによって、あなたがたはわたしが主であることを知るようになる。
6: 8わたしは、あなたがたのある者を生かしておく。あなたがたが、つるぎをのがれて国々の中におり、国々に散らされる時、
6: 9あなたがたのうちののがれた者は、その捕え移された国々の中でわたしを思い出す。これはわたしが、彼らのわたしを離れた姦淫の心と、偶像を慕って姦淫を行う目をくじくからである。そして彼らはそのもろもろの憎むべきことと、その犯した悪のために、みずからをいとうようになる。
6:10そして彼らはわたしが主であることを知る。この災を彼らに対して下すと、わたしが言ったのは決してむなしい事ではない」。
6:11主なる神はこう言われる、「あなたは手を打ち、足を踏みならして言え。ああ、イスラエルの家のすべての悪しき憎むべき者はわざわいだ。彼らはつるぎと、ききんと、疫病に倒れるからである。
6:12遠くにいる者は疫病で死に、近くにいる者はつるぎに倒れる。生き残って身を全うする者はききんによって死ぬ。このようにわたしはわが憤りを彼らの上に漏らし尽す。
6:13彼らの殺される者がその偶像の中にあり、その祭壇のまわりにあり、すべての高き丘の上にあり、すべての山の頂にあり、すべての青木の下にあり、すべての茂ったかしの木の下にあり、彼らがこうばしいかおりを、すべての偶像にささげた所にある時、あなたがたはわたしが主であることを知るのである。
6:14わたしはまた手を彼らの上に伸べて、その地を荒し、すべて彼らの住む所を、荒野からリブラまで荒れ地とする。これによって彼らはわたしが主であることを知るようになる」。