座の終わり | 777のクリスチャンへの警告と聖書 蛇のように聡く、鳩のように無垢であれ

777のクリスチャンへの警告と聖書 蛇のように聡く、鳩のように無垢であれ

今の時代を知って欲しい クリスチャン専用のブログ
終末におけるクリスチャンへの裁き、悔い改め、聖書の喩えをおもに書いています。
お勧めメッセージです。
http://www.remnant80153christ.com/

口語訳で座について検索すると83箇所ありました、座についてあまり評価されていないようなので調べてみました。
出エジプト記18:13

あくる日モーセは座して民をさばいたが、民は朝から晩まで、モーセのまわりに立っていた。


この箇所ではモーセが座していて民、つまりイスラエルの民に裁きをしていました、聖書にあるように神の御心ではなく神の御心の裁きをしていました、世の日本の裁きの座をみてみると、お殿様がいる時代と今の時代ではずいぶん方法も形式も違いますね、もう昔の裁きの仕方はなくなっています。

いつその時代の座がなくなるのか?腐敗したり、しっかり法にのっとってやってない場合にその時代の裁きの座はなくなる…これが歴史から見るとわかってきます、モーセの座も同じでした。


マタイによる福音書23: 2

「律法学者とパリサイ人とは、モーセのにすわっている。


ですが、モーセの座は神の御心ではなくなっていました、これは今のクリスチャンへの警告、型であることもわかりますね、最初はしっかりしていたのにだんだんとおかしくなってくる…

旧約時代のさばきの座が新約時代のさばきの座に移行したことが解ります。


こういう座もあります


ローマ14:10

それだのに、あなたは、なぜ兄弟をさばくのか。あなたは、なぜ兄弟を軽んじるのか。わたしたちはみな、神のさばきのの前に立つのである。

2コリント5:10

なぜなら、わたしたちは皆、キリストのさばきのの前にあらわれ、善であれ悪であれ、自分の行ったことに応じて、それぞれ報いを受けねばならないからである。


ここにも座があり、その座につくにはどうしたらいいのかが、なんと書いてあります。


マタイによる福音書19:28

イエスは彼らに言われた、「よく聞いておくがよい。世が改まって、人の子がその栄光のにつく時には、わたしに従ってきたあなたがたもまた、十二の位に座してイスラエルの十二の部族をさばくであろう。


御存じの通り地上の座は移り変わっても天の座は変わらないです。


ヘブライ1: 3

御子は神の栄光の輝きであり、神の本質の真の姿であって、その力ある言葉をもって万物を保っておられる。そして罪のきよめのわざをなし終えてから、いと高き所にいます大能者の右に、につかれたのである。



ペルガモの教会にはサタンの座があります、すごいですね しかし信仰を捨てないのが肝心です。


黙示録2:12

ペルガモにある教会の御使に、こう書きおくりなさい。『鋭いもろ刃のつるぎを持っているかたが、次のように言われる。

2:13

わたしはあなたの住んでいる所を知っている。そこにはサタンのがある。あなたは、わたしの名を堅く持ちつづけ、わたしの忠実な証人アンテパスがサタンの住んでいるあなたがたの所で殺された時でさえ、わたしに対する信仰を捨てなかった。


既にキリストが先に歩まれたので、その後に続く事が出来ます。


ヘブライ12: 2

信仰の導き手であり、またその完成者であるイエスを仰ぎ見つつ、走ろうではないか。彼は、自分の前におかれている喜びのゆえに、恥をもいとわないで十字架を忍び、神の御座の右にするに至ったのである。