キルヤテ・エアリムの人々は来て、主の箱を運び上げ、それを丘の上のアビナダブの家に運び、彼の子エルアザルを聖別して、主の箱を守らせた。
7: 2
その箱がキルヤテ・エアリムにとどまった日から長い年月がたって、二十年になった。イスラエルの全家は主を慕い求めていた。
そのころ、サムエルはイスラエルの全家に次のように言った。「もし、あなたがたが心を尽くして主に帰り、あなたがたの間から外国の神々やアシュタロテを取り除き、心を主に向け、主にのみ仕えるなら、主はあなたがたをペリシテ人の手から救い出されます。」
そこでイスラエル人は、バアルやアシュタロテを取り除き、主にのみ仕えた。
それで、サムエルは言った。「イスラエル人をみな、ミツパに集めなさい。私はあなたがたのために主に祈りましょう。」
彼らはミツパに集まり、水を汲んで主の前に注ぎ、その日は断食した。そうして、その所で言った。「私たちは主に対して罪を犯しました。」こうしてサムエルはミツパでイスラエル人をさばいた。
イスラエル人がミツパに集まったことをペリシテ人が聞いたとき、ペリシテ人の領主たちはイスラエルに攻め上った。イスラエル人はこれを聞いて、ペリシテ人を恐れた。
そこでイスラエル人はサムエルに言った。「私たちの神、主に叫ぶのをやめないでください。私たちをペリシテ人の手から救ってくださるように。」
サムエルは乳離れしていない子羊一頭を取り、焼き尽くす全焼のいけにえとして主にささげた。サムエルはイスラエルのために主に叫んだ。それで主は彼に答えられた。
サムエルが全焼のいけにえをささげていたとき、ペリシテ人がイスラエルと戦おうとして近づいて来たが、主はその日、ペリシテ人の上に、大きな雷鳴をとどろかせ、彼らをかき乱したので、彼らはイスラエル人に打ち負かされた。
イスラエルの人々は、ミツパから出て、ペリシテ人を追い、彼らを打って、ベテ・カルの下にまで行った。
そこでサムエルは一つの石を取り、それをミツパとシェンの間に置き、それにエベン・エゼルという名をつけ、「ここまで主が私たちを助けてくださった。」と言った。
こうしてペリシテ人は征服され、二度とイスラエルの領内に、はいって来なかった。サムエルの生きている間、主の手がペリシテ人を防いでいた。
ペリシテ人がイスラエルから奪った町々は、エクロンからガテまで、イスラエルに戻った。イスラエルはペリシテ人の手から、領土を解放した。そのころ、イスラエル人とエモリ人の間には平和があった。
サムエルは、一生の間、イスラエルをさばいた。
彼は毎年、ベテル、ギルガル、ミツパを巡回し、それらの地でイスラエルをさばき、
ラマに帰った。そこに自分の家があったからである。彼はそこでイスラエルをさばいた。彼はまた、そこに主のために一つの祭壇を築いた。
ここを見て行こうと思いますたとえで、主の箱があったにもかかわらずペリシテ人にやられてたイスラエル人(今で言うと購われた民クリスチャンの事)とは違いペリシテに勝つイスラエル人(クリスチャン)としてたとえで見ていきます
キルヤテ・エアリムの人々は来て、主の箱を運び上げ、それを丘の上のアビナダブの家に運び、彼の子エルアザルを聖別して、主の箱を守らせた。
1サムエル記の前半では主の箱はエリの家にあり、サムエルがその部屋で眠っていたりと守られて無いような感じがします。
しかしここでは
彼の子エルアザルを聖別して、主の箱を守らせた。
とあり、
1. 聖別し
2. 主の箱を守る
事が書かれてあります、ただ守るのではなく、ただ聖別するのではなく両方が必要です。
7: 2
その箱がキルヤテ・エアリムにとどまった日から長い年月がたって、二十年になった。イスラエルの全家は主を慕い求めていた。
3. イスラエルの全家は主を慕い求めていた。
今のクリスチャンは色々他に慕い求めるものがあるのでしょうか、しかしイスラエルの全家は主を慕い求めていたのです、これが三番目です。
そのころ、サムエルはイスラエルの全家に次のように言った。「もし、あなたがたが心を尽くして主に帰り、あなたがたの間から外国の神々やアシュタロテを取り除き、心を主に向け、主にのみ仕えるなら、主はあなたがたをペリシテ人の手から救い出されます。」
4. 「もし、あなたがたが心を尽くして主に帰り、
5. あなたがたの間から外国の神々やアシュタロテを取り除き、
6 心を主に向け、
7 主にのみ仕えるなら
外国とは神の国・キリストのからだ・教会 以外のもの神以外に頼りになるような存在 そんな感じで私は受け取っています。
7: 4
そこでイスラエル人は、バアルやアシュタロテを取り除き、主にのみ仕えた。
バアル(主人) キリスト(主人) という事はシーソーのように関連しています、 バアルを取り除くのと、主にのみ仕えることこれはセットです。
主のみ仕えましょう、もっというとバアル(他の主人)があると主のみに仕えれない という事がわかります。
それで、サムエルは言った。「イスラエル人をみな、ミツパに集めなさい。私はあなたがたのために主に祈りましょう。」
8. 祈り
彼らはミツパに集まり、水を汲んで主の前に注ぎ、その日は断食した。そうして、その所で言った。「私たちは主に対して罪を犯しました。」こうしてサムエルはミツパでイスラエル人をさばいた。
水を汲んで主の前に注ぎ、その日は断食した。
水は霊にたとえられ、組むという事は霊(水)をいっぱい汲むという事で 長い時間のお祈りが必要
断食 パン(みことば、及び霊的な糧、まことのいのちに関する糧) 水(霊)
彼はその人に言った。「私もあなたと同じく預言者です。御使いが主の命令を受けて、私に『その人をあなたの家に連れ帰り、パンを食べさせ、水を飲ませよ。』と言って命じました。」こうしてその人をだました。
そこで、その人は彼といっしょに帰り、彼の家でパンを食べ、水を飲んだ。
彼らが食卓についていたとき、その人を連れ戻した預言者に、主のことばがあったので、
彼はユダから来た神の人に叫んで言った。「主はこう仰せられる。『あなたは主のことばにそむき、あなたの神、主が命じられた命令を守らず、
主があなたに、パンを食べてはならない、水も飲んではならない、と命じられた場所に引き返して、そこであなたはパンを食べ、水を飲んだので、あなたのなきがらは、あなたの先祖の墓には、はいらない。』」
この預言者嘘をついて、それを信じた神の人が 神のみこころでは無いパンと水を飲んで滅ぼされました
神の人とは?
しかし、神の人よ。あなたは、これらのことを避け、正しさ、敬虔、信仰、愛、忍耐、柔和を熱心に求めなさい。
クリスチャンにたとえられています。
7: 6
彼らはミツパに集まり、水を汲んで主の前に注ぎ、その日は断食した。そうして、その所で言った。「私たちは主に対して罪を犯しました。」こうしてサムエルはミツパでイスラエル人をさばいた。
9. 神へ罪の告白 10. 断食(霊的な)
霊的に断食し、水(霊)を注ぐ祈りと神への罪の告白 これがセットになってます。
たとえば、主へ罪の告白するに当たり、色々な本を読むとその考えが曲がったり、右に左にへと曲がってしまう
まっすぐ主に注ぐべき祈りや、罪の告白、ざんげがまっすぐに行われなくなる そんな感じで見ています。
11.さばき
こうしてサムエルはミツパでイスラエル人をさばいた。
今は何でもいい、神に対してどんな事をしてもいい 否、さばきが必要なのです。
イスラエル人がミツパに集まったことをペリシテ人が聞いたとき、ペリシテ人の領主たちはイスラエルに攻め上った。イスラエル人はこれを聞いて、ペリシテ人を恐れた。
前回、神の箱があったのに負けたイスラエル人 今回ははどうか?つまり聖書に書いてある事をしたイスラエル人は今回は勝てるのか?
7: 8
そこでイスラエル人はサムエルに言った。「私たちの神、主に叫ぶのをやめないでください。私たちをペリシテ人の手から救ってくださるように。」
12. 敵から救ってくださるように 主に叫び続けるのをやめない
7: 9
サムエルは乳離れしていない子羊一頭を取り、焼き尽くす全焼のいけにえとして主にささげた。サムエルはイスラエルのために主に叫んだ。それで主は彼に答えられた。
13. 霊に燃え神様におささげする
乳離れしていない という特徴も考えさせられます、おさなご 子どものようになって神様におささげする、神様にお任せする、そんな感じで見てます。
「わたしは、さばきのため、あなたがたのところに近づく。わたしは、ためらうことなく証人となり、呪術者、姦淫を行なう者、偽って誓う者、不正な賃金で雇い人をしいたげ、やもめやみなしごを苦しめる者、在留異国人を押しのけて、わたしを恐れない者たちに、向かう。――万軍の主は仰せられる。――
サムエルが全焼のいけにえをささげていたとき、ペリシテ人がイスラエルと戦おうとして近づいて来たが、主はその日、ペリシテ人の上に、大きな雷鳴をとどろかせ、彼らをかき乱したので、彼らはイスラエル人に打ち負かされた。
イスラエルの人々は、ミツパから出て、ペリシテ人を追い、彼らを打って、ベテ・カルの下にまで行った。
そこでサムエルは一つの石を取り、それをミツパとシェンの間に置き、それにエベン・エゼルという名をつけ、「ここまで主が私たちを助けてくださった。」と言った。
人間を岩、砦、盾、救い そうすると勝てず、ただ真に神を頼る時勝てるのです、そしてその石は今も残っています。
こうしてペリシテ人は征服され、二度とイスラエルの領内に、はいって来なかった。サムエルの生きている間、主の手がペリシテ人を防いでいた。
ペリシテ人がイスラエルから奪った町々は、エクロンからガテまで、イスラエルに戻った。イスラエルはペリシテ人の手から、領土を解放した。そのころ、イスラエル人とエモリ人の間には平和があった。
サムエルは、一生の間、イスラエルをさばいた。
彼は毎年、ベテル、ギルガル、ミツパを巡回し、それらの地でイスラエルをさばき、
ラマに帰った。そこに自分の家があったからである。彼はそこでイスラエルをさばいた。彼はまた、そこに主のために一つの祭壇を築いた。
このようなサムエルですがその息子たちは
サムエルは、年老いたとき、息子たちをイスラエルのさばきつかさとした。
長男の名はヨエル、次男の名はアビヤである。彼らはベエル・シェバで、さばきつかさであった。
この息子たちは父の道に歩まず、利得を追い求め、わいろを取り、さばきを曲げていた。
そこでイスラエルの長老たちはみな集まり、ラマのサムエルのところに来て、
彼に言った。「今や、あなたはお年を召され、あなたのご子息たちは、あなたの道を歩みません。どうか今、ほかのすべての国民のように、私たちをさばく王を立ててください。」
そしてサウルが選ばれ、後には霊媒に頼りサウルを呼び出し会話をする ということになってしまうのですが、サムエルとイスラエルの民が神に喜ばれ、神に助けてもらったその聖書箇所が今回のようにありますので、参照にし行う事で髪に喜ばれる事が出来るのです。
今では敵つまり悪魔 の使いたちがクリスチャンを装って獣の印をつけている、時代ですが、このときどうするのか?今回の聖書箇所が役に立てばうれしいです。