前回は「小さい者」のたとえを見て行きました 今回は海辺の砂のたとえを見ていこうと思います。
そして、彼は海べの砂の上に立った。
他の聖書箇所から、海辺の砂で検索します。(世の本の海辺の砂ではなく聖書のみ!です)
わたしは確かにあなたを大いに祝福し、あなたの子孫を、空の星、海辺の砂のように数多く増し加えよう。そしてあなたの子孫は、その敵の門を勝ち取るであろう。
それで彼らは、その全陣営を率いて出て来た。その人数は海辺の砂のように多く、馬や戦車も非常に多かった。
そこには、ミデヤン人や、アマレク人や、東の人々がみな、いなごのように大ぜい、谷に伏していた。そのらくだは、海辺の砂のように多くて数えきれなかった。
ペリシテ人もイスラエル人と戦うために集まった。戦車三万、騎兵六千、それに海辺の砂のように多い民であった。彼らは上って来て、ベテ・アベンの東、ミクマスに陣を敷いた。
私のはかりごとはこうです。全イスラエルをダンからベエル・シェバに至るまで、海辺の砂のように数多くあなたのところに集めて、あなた自身が戦いに出られることです。
ユダとイスラエルの人口は、海辺の砂のように多くなり、彼らは飲み食いして楽しんでいた。
神は彼らの上に肉をちりのように、翼のある鳥をも海辺の砂のように降らせた。
たとい、あなたの民イスラエルが海辺の砂のようであっても、その中の残りの者だけが立ち返る。壊滅は定められており、義があふれようとしている。
アブラハムの子孫そして、イスラエルは海辺の砂にたとえられている事がわかります。
アブラハムはローマの手紙で信仰の父にたとえられ、信仰による義のクリスチャンの霊的な父というようになっています。血肉はともかく、霊的な子孫としてのクリスチャン
そしてクリスチャンは砂にたとえられています。
わたしは確かにあなたを大いに祝福し、あなたの子孫を、空の星、海辺の砂のように数多く増し加えよう。そしてあなたの子孫は、その敵の門を勝ち取るであろう。
そして、イスラエルは神の戦士という意味の通りクリスチャンを指します、またこのような聖書箇所もあります。
新共同です。
エペソ 2:12
また、そのころは、キリストとかかわりなく、イスラエルの民に属さず、約束を含む契約と関係なく、この世の中で希望を持たず、神を知らずに生きていました。
しかしながら今はクリスチャンになり、つまりイスラエルの民に属し、約束を含む契約、またこの世で希望を持ち、神を知ることになりました。
このように海辺の砂はクリスチャンにたとえられています、そうすると最初の黙示録の箇所も開けてきませんか。
自分が地上に投げ落とされたのを知った竜は、男の子を産んだ女を追いかけた。
しかし、女は大わしの翼を二つ与えられた。自分の場所である荒野に飛んで行って、そこで一時と二時と半時の間、蛇の前をのがれて養われるためであった。
ところが、蛇はその口から水を川のように女のうしろへ吐き出し、彼女を大水で押し流そうとした。
しかし、地は女を助け、その口を開いて、竜が口から吐き出した川を飲み干した。
すると、竜は女に対して激しく怒り、女の子孫の残りの者、すなわち、神の戒めを守り、イエスのあかしを保っている者たちと戦おうとして出て行った。
そして、彼は海べの砂の上に立った。
ただの海辺の砂なら海辺に注意するのかもしれませんが、クリスチャンにたとえられているので自分自身、及び周りに関心が行きませんか。世の海辺の砂ではなくて
竜が海辺の砂の上に立つ??竜の他の箇所を検索します。
彼は、悪魔でありサタンである竜、あの古い蛇を捕え、これを千年の間縛って、
とあります、何が自分の上に立つかで、その人間のコントロール、考え方、ものの判断、思想、関心具とが変わってくると思います。
終末のあるクリスチャンの特徴はサタンが上に乗っかってる、このことです。
そしてそれと対比しておるクリスチャンの特徴とは 神の戒めを守り、イエスのあかしを保っている者たち であり、我々は絶対こちらのほうを取るべきです。
岩とはキリストです1コリント10:4そして砂(クリスチャン)としてみれば、つまりたとえで見ると以下の意味合いがわかってくると思います。
だから、わたしのこれらのことばを聞いてそれを行なう者はみな、岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べることができます。
雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけたが、それでも倒れませんでした。岩の上に建てられていたからです。
また、わたしのこれらのことばを聞いてそれを行なわない者はみな、砂の上に自分の家を建てた愚かな人に比べることができます。
雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけると、倒れてしまいました。しかもそれはひどい倒れ方でした。」
洪水があるとの事で、先ほどの黙示録の箇所と符合します
ところが、蛇はその口から水を川のように女のうしろへ吐き出し、彼女を大水で押し流そうとした。
しかし、地は女を助け、その口を開いて、竜が口から吐き出した川を飲み干した。
すると、竜は女に対して激しく怒り、女の子孫の残りの者、すなわち、神の戒めを守り、イエスのあかしを保っている者たちと戦おうとして出て行った。
そして霊は水にたとえられています、以下の動画のようになっています ご覧下さい。
http://www.youtube.com/watch?v=68dwg54qIAI
エレミヤの部屋では聖書のたとえが多くあります、是非ご覧下さって聖書のたとえの理解に進んでくだされば幸いです、というのも、前回の旧約の民と同じく例えの理解をしないと危険です。