わたしがそれをイスラエルの高い山に植えると、それは枝を伸ばし、実を結び、みごとな杉の木となり、その下にはあらゆる種類の鳥が住みつき、その枝の陰に宿る。
このとき、野のすべての木は、主であるわたしが、高い木を低くし、低い木を高くし、緑の木を枯らし、枯れ木に芽を出させることを知るようになる。主であるわたしが語り、わたしが行なう。」
聖書のたとえを見ていこうと思います
わたしがそれをイスラエルの高い山に植えると、それは枝を伸ばし、実を結び、みごとな杉の木となり、その下にはあらゆる種類の鳥が住みつき、その枝の陰に宿る。
1.植えると 植え のたとえ
しかし、イエスは答えて言われた。「わたしの天の父がお植えにならなかった木は、みな根こそぎにされます。
イエスはこのようなたとえを話された。「ある人が、ぶどう園にいちじくの木を植えておいた。実を取りに来たが、何も見つからなかった。
また、ロトの時代にあったことと同様です。人々は食べたり、飲んだり、売ったり、買ったり、植えたり、建てたりしていたが、
私が植えて、アポロが水を注ぎました。しかし、成長させたのは神です。
とあるように、クリスチャンを植える 木にたとえられているクリスチャンが成長する場所に植えることを植えという「たとえ」になっている事が解りますね。
2.それは枝を伸ばし、 枝 のたとえ
わたしにとどまりなさい。わたしも、あなたがたの中にとどまります。枝がぶどうの木についていなければ、枝だけでは実を結ぶことができません。同様にあなたがたも、わたしにとどまっていなければ、実を結ぶことはできません。
枝が折られたのは、私がつぎ合わされるためだ、とあなたは言うでしょう。
もし神が台木の枝を惜しまれなかったとすれば、あなたをも惜しまれないでしょう。
・・・のように枝はキリストとつながり実を結ぶ クリスチャンの事を「枝」というようにたとえられています
それがわかると クリスチャンの事を書かれていることが解ります↓
人の子よ。ぶどうの木は、森の木立ちの間にあって、その枝が、ほかの木よりどれだけすぐれているのか。
さて、もう一羽の大きな翼と豊かな羽毛を持つ大鷲がいた。見よ。このぶどうの木は、潤いを得るために、根を、その鷲のほうに向けて伸ばし、その枝を、自分が植わっている所から、その鷲のほうに伸ばした。
このぶどうの木は、枝を伸ばし、実を結び、みごとなぶどうの木となるために、水の豊かな良い地に植えつけられていた。
私は再び尋ねて言った。「二本の金の管によって油をそそぎ出すこのオリーブの二本の枝は何ですか。」
すると彼は、私にこう言った。「あなたは、これらが何か知らないのか。」私は言った。「主よ。知りません。」
彼は言った。「これらは、全地の主のそばに立つ、ふたりの油そそがれた者だ。」
3.実を結び、
これは解りますね これもクリスチャンの事です 実を結ぶクリスチャンのたとえ
それなら、悔い改めにふさわしい実を結びなさい。
斧もすでに木の根元に置かれています。だから、良い実を結ばない木は、みな切り倒されて、火に投げ込まれます。
あなたがたは、実によって彼らを見分けることができます。ぶどうは、いばらからは取れないし、いちじくは、あざみから取れるわけがないでしょう。
しかし、良い地に落ちるとは、こういう人たちのことです。正しい、良い心でみことばを聞くと、それをしっかりと守り、よく耐えて、実を結ばせるのです。
4.木となり これもクリスチャンにたとえられています、実を結ぶ木としてのクリスチャンに。
道ばたにいちじくの木が見えたので、近づいて行かれたが、葉のほかは何もないのに気づかれた。それで、イエスはその木に「おまえの実は、もういつまでも、ならないように。」と言われた。すると、たちまちいちじくの木は枯れた。
イエスはこのようなたとえを話された。「ある人が、ぶどう園にいちじくの木を植えておいた。実を取りに来たが、何も見つからなかった。
番人は答えて言った。『ご主人。どうか、ことし一年そのままにしてやってください。木の回りを掘って、肥やしをやってみますから。
わたしがそれをイスラエルの高い山に植えると、それは枝を伸ばし、実を結び、みごとな杉の木となり、その下にはあらゆる種類の鳥が住みつき、その枝の陰に宿る。
そしてイスラエルについて書かれていることで イスラエル=クリスチャン のたとえ という事が解ります。
このとき、野のすべての木は、主であるわたしが、高い木を低くし、低い木を高くし、緑の木を枯らし、枯れ木に芽を出させることを知るようになる。主であるわたしが語り、わたしが行なう。」
ここで 高いのが低くされ とあり、よく聖書を読んで心にみことばが植えられているのなら
他の聖書の箇所が浮かんできます、そっくりです
だれでも、自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされます。
ここも
主は殺し、また生かし、よみに下し、また上げる。
主は、貧しくし、また富ませ、低くし、また高くするのです。
ここも
権力ある者を王位から引き降ろされます。低い者を高く引き上げ、
飢えた者を良いもので満ち足らせ、富む者を何も持たせないで追い返されました。
わたしがそれをイスラエルの高い山に植えると、それは枝を伸ばし、実を結び、みごとな杉の木となり、その下にはあらゆる種類の鳥が住みつき、その枝の陰に宿る。
このとき、野のすべての木は、主であるわたしが、高い木を低くし、低い木を高くし、緑の木を枯らし、枯れ木に芽を出させることを知るようになる。主であるわたしが語り、わたしが行なう。」
というわけで、この箇所もクリスチャンに向けて書かれている事がわかります 御霊に聞きつつ聖書を読み、それ自身の解釈をせず、他の聖書箇所を参照にして読んでみてください、預言になってる事がわかります。
そのとき、ユダヤにいる人々は山へ逃げなさい。都の中にいる人々は、そこから立ちのきなさい。いなかにいる者たちは、都にはいってはいけません。
これは、書かれているすべてのことが成就する報復の日だからです。
勿論 旧約も含まれますよ