何とみごとな石でしょう。何とすばらしい建物でしょう。 | 777のクリスチャンへの警告と聖書 蛇のように聡く、鳩のように無垢であれ

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マルコによる福音書13: 1

イエスが、宮から出て行かれるとき、弟子のひとりがイエスに言った。「先生。これはまあ、何とみごとな石でしょう。何とすばらしい建物でしょう。」

13: 2

すると、イエスは彼に言われた。「この大きな建物を見ているのですか。石がくずされずに、積まれたまま残ることは決してありません。」



ここを見て行こうと思います、世の建築基準で言えば大きく見事なすばらしい建物なら、そうそう崩れる事はない しかしそれ以下の建物はそれよりも崩れやすい という事が常識となっていますね


震度7で崩れる建築基準の建物なら震度4がきても崩れない 

というのも一般的なものの判断基準であると思います。


しかし教会は違います


そこを見ていこうと思います 聖書のたとえでも。


マルコによる福音書13: 1

イエスが、宮から出て行かれるとき、弟子のひとりがイエスに言った。「先生。これはまあ、何とみごとな石でしょう。何とすばらしい建物でしょう。」



かつての旧約の宮つまり今で言う所の教会のたとえとして見ていきます、かつての旧約の民の誤り沢山ありますが、今の新約の民も同じですが。



そのひとつに宮、教会、神殿の判断基準を物理的な事柄を見て決定してしまったという事がります。



旧約で言うとサウルみたいなことで、彼のやった事はとても危険な事柄が多くそれを読んで避けていく事ができます(霊的な理解で)、同じように前回(旧約時代)宮の評価を物理的な側面で捕らえてしまった・・・ですから今回(新約)では物理的な側面で捉えない という事ができるのです。



思うに教会が霊的に崩壊する時代の特徴として今回の聖書箇所から、判断基準を物理的にしてしまうことが、その一つに挙げられるように思います。



「○億円で建てた」「この建築素材には、希少性のある素材が使われている」「○○氏にデザインをしてもらった」これ、危険な感じを受けますがいかがでしょうか?つまり


マルコによる福音書13: 1

イエスが、宮から出て行かれるとき、弟子のひとりがイエスに言った。「先生。これはまあ、何とみごとな石でしょう。何とすばらしい建物でしょう。」


この道と同じ道を歩んでいるからです


たとえば、西洋のいわゆる大聖堂 とても立派な建物で建てるのに何年もかかったわけです しかし現在では観光地になっており、日曜に礼拝をするわけではなく、観光客が写真を撮ったり見物に来ています。


これも今回の聖書箇所と似ていませんか、では建物・教会にお金をかけなかったから大丈夫だろう 否

聖書どおり、秩序をもってやっていきましょう。


というのも、現在教会では聖霊と偽り、悪霊が働いている教会があるからです、どの霊でも信じないで霊の見極めをしてください!


http://ameblo.jp/rebanonn/theme-10010468416.html

http://ameblo.jp/rebanonn/entry-10150731857.html  *悪霊の影響を受ける人達


箴言 27:12

利口な者はわざわいを見て、これを避け、わきまえのない者は進んで行って、罰を受ける。

イザヤ書31: 6

イスラエルの子らよ。あなたがたが反逆を深めているその方のもとに帰れ。