私たちの日ごとの糧をきょうもお与えください。(聖書) | 777のクリスチャンへの警告と聖書 蛇のように聡く、鳩のように無垢であれ

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マタイによる福音書 6:11 私たちの日ごとの糧をきょうもお与えください。


今回はここの聖書箇所を見て行こうと思います「たとえ」で 


まず、糧とは何だろう 異邦人でも日々の糧を望んでいるではないか?世からキリストに購われ、引き出され、ご自分の民とされた宝の民クリスチャン、奴隷ではなくキリストにある自由のクリスチャン


勿論 霊的なことがこの箇所にも含まれて居ます。



ヨハネによる福音書 6:32  

イエスは彼らに言われた。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。モーセはあなたがたに天からのパンを与えたのではありません。しかし、わたしの父は、あなたがたに天からまことのパンをお与えになります。

6:33  

というのは、神のパンは、天から下って来て、世にいのちを与えるものだからです。」

6:34  

そこで彼らはイエスに言った。「主よ。いつもそのパンを私たちにお与えください。」

6:35  

イエスは言われた。「わたしがいのちのパンです。わたしに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者はどんなときにも、決して渇くことがありません。


つまり聖書の事です。


1コリント 10:17

パンは一つですから、私たちは、多数であっても、一つのからだです。それは、みなの者がともに一つのパンを食べるからです。

10:18

肉によるイスラエルのことを考えてみなさい。供え物を食べる者は、祭壇にあずかるではありませんか。


教会で聖書の朗読を聞き食べます しかしながら、何を食べ糧にするのかが大きなポイントです。(世でもそうですね) 


1コリント 10:17

パンは一つですから、私たちは、多数であっても、一つのからだです。それは、みなの者がともに一つのパンを食べるからです。

10:18

肉によるイスラエルのことを考えてみなさい。供え物を食べる者は、祭壇にあずかるではありませんか。

10:19

私は何を言おうとしているのでしょう。偶像の神にささげた肉に、何か意味があるとか、偶像の神に真実な意味があるとか、言おうとしているのでしょうか。

10:20

いや、彼らのささげる物は、神にではなくて悪霊にささげられている、と言っているのです。私は、あなたがたに悪霊と交わる者になってもらいたくありません。

10:21

あなたがたが主の杯を飲んだうえ、さらに悪霊の杯を飲むことは、できないことです。主の食卓にあずかったうえ、さらに悪霊の食卓にあずかることはできないことです。


つまり


10:21

あなたがたが主の杯を飲んだうえ、さらに悪霊の杯を飲むことは、できないことです。主の食卓にあずかったうえ、さらに悪霊の食卓にあずかることはできないことです。

↑クリスチャンがパンを食べたあと、悪霊の食卓につき、別の霊的な糧を食べる事が書かれていると見ています、


1テモテ: 4: 1  

しかし、御霊が明らかに言われるように、後の時代になると、ある人たちは惑わす霊と悪霊の教えとに心を奪われ、信仰から離れるようになります。


つまり こういうクリスチャンが出てくることに対する警告であり それに関連し信仰から離れる事への警告でもあります。

つまり こう書かれている通りです。


2テサロニケ 2: 8

その時になると、不法の人が現われますが、主は御口の息をもって彼を殺し、来臨の輝きをもって滅ぼしてしまわれます。

2: 9

不法の人の到来は、サタンの働きによるのであって、あらゆる偽りの力、しるし、不思議がそれに伴い、

2:10

また、滅びる人たちに対するあらゆる悪の欺きが行なわれます。なぜなら、彼らは救われるために真理への愛を受け入れなかったからです。


そんな動画を集めて見ました 

http://ameblo.jp/rebanonn/theme-10010468416.html


ではどうするのか?結論から書けば聖書のみを読む!(他の本ではなく)どの頻度でか?そこを見て行こうと思います。


マタイによる福音書 6:11 私たちの日ごとの糧をきょうもお与えください。


これが答えです、「毎日パンを食べる!」「つまり、毎日聖書を読む!糧にする!」これに尽きます、三日に一回糧を下さいとか 一週間に一回糧を下さいでは無いのです、日ごとの糧を神様が下さるようにお祈りをして、実際 聖書を毎日読みましょう!それが解れば旧約のパンの箇所も、世の終わりのクリスチャンへの預言として理解できますよね。


詩篇102: 4  

私の心は、青菜のように打たれ、しおれ、パンを食べることさえ忘れました。

41: 9  

私が信頼し、私のパンを食べた親しい友までが、私にそむいて、かかとを上げた。


哀歌: 4: 4

乳飲み子の舌は渇いて上あごにつき、幼子たちがパンを求めても、それを裂いて彼らにやる者もない。


自分の事ばかり考えないで兄弟姉妹のことも考え、パンを裂いて食べやすくして与えてください。