出エジプト記40:17
第二年目の第一月、その月の第一日に幕屋は建てられた。
40:18
モーセは、幕屋を建てるとき、台座を据え、その板を立て、その横木を通し、その柱を立て、
40:19
幕屋の上に天幕を広げ、その上に天幕のおおいを掛けた。主がモーセに命じられたとおりである。
40:20
また、彼はさとしを取って箱に納め、棒を箱につけ、「贖いのふた」を箱の上に置き、
40:21
箱を幕屋の中に入れ、仕切りのために垂れ幕を掛け、あかしの箱の前を仕切った。主がモーセに命じられたとおりである。
ここを見て行こうと思います 「聖書の例え」で 私なりに
出エジプト記40:17
第二年目の第一月、その月の第一日に幕屋は建てられた。
建て のたとえ
マタイによる福音書:16:18
ではわたしもあなたに言います。あなたはペテロです。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てます。ハデスの門もそれには打ち勝てません。
ルカによる福音書:17:28
また、ロトの時代にあったことと同様です。人々は食べたり、飲んだり、売ったり、買ったり、植えたり、建てたりしていたが、
神殿を建て、幕屋を建て、会堂を建て、宮を建て、家(神の家)を建て など 「建て」は今でいう教会の事を指します。
つまり、神殿、宮、会堂、家 など、自分に関係ない昔のこと そうではなく教会に直結している事柄が書かれているのです、そして
ヘブライの手紙: 3: 6
しかし、キリストは御子として神の家を忠実に治められるのです。もし私たちが、確信と、希望による誇りとを、終わりまでしっかりと持ち続けるならば、私たちが神の家なのです。
勿論教会の霊的なことも見ますが
クリスチャンとして、どういう状況なのか、しっかり神様の御心どおり組み合わされ、建てられているのか?そういうことも見て行こうと思います。
40:18
モーセは、幕屋を建てるとき、台座を据え、その板を立て、その横木を通し、その柱を立て、
据え、立て、通し、立て とあります、我々及び神の家も据える所を据え、立てるところを立て、通す所を通しやっていこうではありませんか、主イエスも 曲がりくねった旧約の終わり時代において、据える所は据え、立てる所は立て、通す所は通しました!
据えてるのに据える事をやめ、立ててあるのに倒し、通す所を通さず そんな状態ではありませんか?
40:19
幕屋の上に天幕を広げ、その上に天幕のおおいを掛けた。主がモーセに命じられたとおりである。
幕屋の上に天幕を広げてさらに天幕のおおいをかけるとどうなるのか、外部の影響をうけませんね、世の中でも車をそのままにしておくのとカバーをかけておくのとでは外部からの影響が違います。
主に購われた民、奴隷から自由の身になった民、選民、長子、息子、として「おおい」外から影響されずに行きましょう。
また 教会も
エペソ 5:26
キリストがそうされたのは、みことばにより、水の洗いをもって、教会をきよめて聖なるものとするためであり、
5:27
ご自身で、しみや、しわや、そのようなものの何一つない、聖く傷のないものとなった栄光の教会を、ご自分の前に立たせるためです。
キリストがこのように建ててくださった教会、もちろんおおいをかけ、色々な教理、本、誘惑そういうものから守り、大切にしていくのです。
40:20
また、彼はさとしを取って箱に納め、棒を箱につけ、「贖いのふた」を箱の上に置き、
40:20
また、彼はさとしを取って箱に納め、
「さとし」箱の中に納めてますか? 教会の中で霊現象で後ろに倒したり、笑ったり、泣いたり、酔ったようになったり・・・と彼ら「さとし」はどこにあるのだろう
しるしや奇跡のペンテコステ・カリスマ派の動画。
http://ameblo.jp/rebanonn/entry-10294395173.html
http://ameblo.jp/rebanonn/entry-10150731857.html
棒を箱につけ、「贖いのふた」を箱の上に置き、
しっかり「購いのふた」を箱の上に置きます ふたではなく「購いのふた」です 今はどうだろう しっかり購いの事信じていれば、さらにしるしや奇跡で霊を受けたりしないでしょう? 上の動画との関係もあり。
40:21
箱を幕屋の中に入れ、仕切りのために垂れ幕を掛け、あかしの箱の前を仕切った。主がモーセに命じられたとおりである。
箱と我々との間を垂れ幕で仕切る 仕切りがあるのと無いのとでは大きな違いがあります。
誰も盗んだり、改変したり出来ないように、しっかりあります、我々がどんな状態だろうと神様は完全です
しかし仕切りが無いと勝手に改変したり、盗んだり、一部をとってすり替えたり しますので、教会、クリスチャンとしてしっかり仕切りをしていきましょう、そして仕切りの中には。20節に書かれている箱があります、絶対に手をつけないように。