陶器師は、粘土で制作中の器を自分の手でこわし、再びそれを陶器師自身の気に入ったほかの器に作り替えた。
ですが、もし神が、怒りを示してご自分の力を知らせようと望んでおられるのに、その滅ぼされるべき怒りの器を、豊かな寛容をもって忍耐してくださったとしたら、どうでしょうか。
それも、神が栄光のためにあらかじめ用意しておられたあわれみの器に対して、その豊かな栄光を知らせてくださるためになのです。
神は、このあわれみの器として、私たちを、ユダヤ人の中からだけでなく、異邦人の中からも召してくださったのです。
私たちは、この宝を、土の器の中に入れているのです。それは、この測り知れない力が神のものであって、私たちから出たものでないことが明らかにされるためです。
大きな家には、金や銀の器だけでなく、木や土の器もあります。また、ある物は尊いことに、ある物は卑しいことに用います。
こんかいは、器についてみていこうと思います、聖書では「器」にたとえられているクリスチャン・神の民・選民の事がよく出てきます。
器とはどういうものだろう そんなことを私なりに考えてみたいのです。
今は引越しシーズンという事で、荷物を運んだりお手伝いに行ったりする事があると思います。
他の荷物と器との違いは何か? 「割れ物注意」というシ-ルが張ってある事です
つまり、丁寧に、慎重に、大事にしないと 割れるのです
他のと同じように、下にドン!と置くとひびが入ったりするのです。
また、雑に、激しく扱うと危険です。
唯一つ大きな違いは器の所有者が人間ではなく神様と言う点です、ですのでとくに、本当に傷がつかないように、割れないようにしていきたいのです。
思うに、「あ~もっと丁寧な言葉使うべきだった」「もっと慎重に、優しく接していたらよかったのかなぁ・・・」なんて事を思い返してしまったりします。
美術館で展示する器も丁寧に包装し、丁寧に運搬し、丁寧に設置します。
そして、世の器よりも価値のある皆さんもお互いに注意しましょう。
ノルマ、過度の奉仕、あれして、これして、そんなことしてると割れますよ、というか私自身どうやら、傷つき割れやすいようなので そういうところから逃れ、距離をとりやっていこうと思います、アベルのようになったささげ物については別ですが。
そんなことで器について書いてみました。
しかしながら・・・奇跡やしるしに傾倒している器も沢山居まして、聖霊ではなく悪霊を器の中に流し込んでいるのです、そんな動画を集めて見ました。
http://ameblo.jp/rebanonn/theme-10010468416.html
聖霊はみくにを受け継ぐ保証(手付け金の意味)ですので、偽物(悪霊)だとみくにには入れませんよ、悔い改めてください!神に立ち返ってください!