ここを見て行こうと思います、パン種なしです。(口語訳)後、引用は新改訳です
14 歴代志下 第28章
1) アハズは王となった時二十歳で、十六年の間エルサレムで世を治めたが、その父ダビデとは違って、主の良しと見られることを行わず、
2) イスラエルの王たちの道に歩み、またもろもろのバアルのために鋳た像を造り、
イエス様の道ではなく王たちの道に行くと他にバアル(主人)を作る
ですから、王たちの道ではなくイエス様の道を歩みましょう。
3) ベンヒンノムの谷で香をたき、その子らを火に焼いて供え物とするなど、主がイスラエルの人々の前から追い払われた異邦人の憎むべき行いにならい、
彼が巻き物を受け取ったとき、四つの生き物と二十四人の長老は、おのおの、立琴と、香のいっぱいはいった金の鉢とを持って、小羊の前にひれ伏した。この香は聖徒たちの祈りである。
祈りはちゃんと規定に沿って主なる神様にお捧げするものです。
その子らを火に焼いて供え物とするなど、主がイスラエルの人々の前から追い払われた異邦人の憎むべき行いにならい、
あなたがたも生ける石として、霊の家に築き上げられなさい。そして、聖なる祭司として、イエス・キリストを通して、神に喜ばれる霊のいけにえをささげなさい。
クリスチャンは神様にいけにえつまり供え物をささげます 火に焼いて とありますが、どんな霊でもよいのではなく、聖霊で焼いて供え物とするのです。
水も聖霊のたとえになってます
彼らが会見の天幕にはいるときには、水を浴びなければならない。彼らが死なないためである。また、彼らが、主への火によるささげ物を焼いて煙にする務めのために祭壇に近づくときにも、
その手、その足を洗う。彼らが死なないためである。これは、彼とその子孫の代々にわたる永遠のおきてである。」
主がイスラエルの人々の前から追い払われた異邦人の憎むべき行いにならい、
キリスト教以外ではそうではないと思いますが、キリスト教ではちゃんとした順序、規定を守りましょう
4) また高き所の上、丘の上、すべての青木の下で犠牲をささげ、香をたいた。
高い場所、上 そうではなく神様に低くして聖霊でいけにえをささげるのです、青木の下?いいのではないか?へりくだってるように見えるから。
木 はクリスチャンに「たとえ」られていて、クリスチャンの下で犠牲を捧げている そのように見ています。
弟子たちは、これを見て、驚いて言った。「どうして、こうすぐにいちじくの木が枯れたのでしょうか。」
ルカによる福音書23(新共同約)にも
「『生の木』さえこうされるのなら、『枯れた木』はいったいどうなるのだろうか」
とあり木はクリスチャンにたとえられています、枯れた木はヤコブ書に詳しいです。
5) それゆえ、その神、主は彼をスリヤの王の手に渡されたので、スリヤびとは彼を撃ち破り、その民を多く捕虜として、ダマスコに引いて行った。彼はまたイスラエルの王の手にも渡されたので、イスラエルの王も彼を撃ち破って大いに殺した。
6) すなわちレマリヤの子ペカはユダで一日のうちに十二万人を殺した。皆勇士であった。これは彼らがその先祖の神、主を捨てたためである。
とあり、主を捨てることはとても重いです、たとえば主を捨てバアル、器崇拝し大きい会場で集まりに行ってみると、人が後ろに倒れたり 聖霊の働きとは思えない(サタニストとおなじ霊現象が起こってる時代です、実にバアル崇拝は危険なのです)
ユダで一日のうちに十二万人を殺した。皆勇士であった。
普通だったらいい戦いしそうな数と能力がありそうです・・・が簡単にやられます。
7) その時、エフライムの勇士ジクリという者が王の子マアセヤ、宮内大臣アズリカムおよび王に次ぐ人エルカナを殺した。
8) イスラエルの人々はついにその兄弟のうちから婦人ならびに男子、女子など二十万人を捕虜にし、また多くのぶんどり物をとり、そのぶんどり物をサマリヤに持って行った。
捕虜にされます、捕虜になると自由(キリストにある自由)はないですし、日ごとの糧(聖書)もありません、霊的に捕虜になるかならないかで、クリスチャンの成長にも影響するのです。
9) その時そこに名をオデデという主の預言者があって、サマリヤに帰って来た軍勢の前に進み出て言った、「見よ、あなたがたの先祖の神、主はユダを怒って、これをあなたがたの手に渡されたが、あなたがたは天に達するほどの怒りをもってこれを殺した。
10) そればかりでなく、あなたがたは今、ユダとエルサレムの人々を従わせて、自分の男女の奴隷にしようと思っている。しかしあなたがた自身もまた、あなたがたの神、主に罪を犯しているではないか。
なんか今の教会時代とソックリです。
1わたされる神の民 2渡されることを許可された神の民がする行為 どちらが正しいか?両方とも正しくないです。
11) いまわたしに聞き、あなたがたがその兄弟のうちから捕えて来た捕虜を放ち帰らせなさい。主の激しい怒りがあなたがたの上に臨んでいるからです」。
捕虜を自由にする 奴隷にしない これが是です 聖書では。
あなたがたは、代価をもって買われたのです。人間の奴隷となってはいけません。
しかし神の奴隷になる事は奨励されています。
あなたがたは自由人として行動しなさい。その自由を、悪の口実に用いないで、神の奴隷として用いなさい。
以上がわかると
また、小さい者にも、大きい者にも、富んでいる者にも、貧しい者にも、自由人にも、奴隷にも、すべての人々にその右の手かその額かに、刻印を受けさせた。
獣の刻印を受ける人たちはクリスチャンたちであることが解ります。
http://ameblo.jp/rebanonn/entry-10294395173.html (動画)
12) そこでエフライムびとのおもなる人々、すなわちヨハナンの子アザリヤ、メシレモテの子ベレキヤ、シャルムの子ヒゼキヤ、ハデライの子アマサらもまた、戦争から帰った者どもに向かって立ちあがり、
13) 彼らに言った、「捕虜をここに引き入れてはならない。あなたがたはわたしどもに主に対するとがを得させて、さらにわれわれの罪とがを増し加えようとしている。われわれのとがは大きく、激しい怒りがイスラエルの上に臨んでいるからです」。
14) そこで兵卒どもがその捕虜とぶんどり物をつかさたちと全会衆の前に捨てておいたので、
捕虜の状態ではなく自由にする働きが必要です。
15) 前に名をあげた人々が立って捕虜を受け取り、ぶんどり物のうちから衣服をとって、裸の者に着せ、また、くつをはかせ、食い飲みさせ、油を注ぎなどし、その弱い者を皆ろばに乗せ、こうして彼らをしゅろの町エリコに連れて行って、その兄弟たちに渡し、そしてサマリヤに帰って来た。
衣服をとって、裸の者に着せ、 と、あり裸の状態では神様の前に出れません、
創世記: 3:10
彼は答えた。「私は園で、あなたの声を聞きました。それで私は裸なので、恐れて、隠れました。」
そこで、イエスの愛されたあの弟子がペテロに言った。「主です。」すると、シモン・ペテロは、主であると聞いて、裸だったので、上着をまとって、湖に飛び込んだ。
神様の白い義の衣が必要なのです
しかしながら主の再臨のとき、裸のクリスチャンが居る事が預言されています
わたしはあなたに忠告する。豊かな者となるために、火で精練された金をわたしから買いなさい。また、あなたの裸の恥を現わさないために着る白い衣を買いなさい。また、目が見えるようになるため、目に塗る目薬を買いなさい。
――見よ。わたしは盗人のように来る。目をさまして、身に着物を着け、裸で歩く恥を人に見られないようにする者は幸いである。――
そしてこの裸の前の箇所は
彼らはしるしを行なう悪霊どもの霊である。彼らは全世界の王たちのところに出て行く。万物の支配者である神の大いなる日の戦いに備えて、彼らを集めるためである。
ペンテコステ派のベニーヒンなど悪霊を使っておりますが、しるしや奇跡を重視し、どの霊か吟味してない人達は 実は集められています。
ですから、裸の状態と しるしを行なう悪霊どもの霊 との関連がわかりました。
くつをはかせ、
放蕩息子のたとえに詳しいです、息子(靴あり)奴隷(靴無し)です、そのような霊的状態のことをさしています。
奴隷はいつまでも家にいるのではありません。しかし、息子はいつまでもいます。
神の宮と偶像とに、何の一致があるでしょう。私たちは生ける神の宮なのです。神はこう言われました。「わたしは彼らの間に住み、また歩む。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。
それゆえ、彼らの中から出て行き、彼らと分離せよ、と主は言われる。汚れたものに触れないようにせよ。そうすれば、わたしはあなたがたを受け入れ、
わたしはあなたがたの父となり、あなたがたはわたしの息子、娘となる、と全能の主が言われる。」
今も偶像(アイドル)崇拝してクリスチャンといわれている人達からしるしを行う悪霊どもの霊を受けている人達・・・当然の報いを受けています。
食い飲みさせ、
それから、みなが食事をしているとき、イエスはパンを取り、祝福して後、これを裂き、彼らに与えて言われた。「取りなさい。これはわたしのからだです。」
また、杯を取り、感謝をささげて後、彼らに与えられた。彼らはみなその杯から飲んだ。
食い 御言葉のパン、キリストのからだ、永遠の命の糧
飲み 水、キリストの血、聖霊 みくにを受け継ぐ保証
油を注ぎなどし、
あなたがたには聖なる方からの注ぎの油があるので、だれでも知識を持っています。
油は聖霊にたとえられています。
衣服をとって、裸の者に着せ、また、くつをはかせ、食い飲みさせ、
とてもとても重要なポイントなのです なぜか?
そうして、王は、その右にいる者たちに言います。『さあ、わたしの父に祝福された人たち。世の初めから、あなたがたのために備えられた御国を継ぎなさい。
あなたがたは、わたしが空腹であったとき、わたしに食べる物を与え、わたしが渇いていたとき、わたしに飲ませ、わたしが旅人であったとき、わたしに宿を貸し、
わたしが裸のとき、わたしに着る物を与え、わたしが病気をしたとき、わたしを見舞い、わたしが牢にいたとき、わたしをたずねてくれたからです。』
この箇所にかかってますから!↑
ですから、パン(みことば、聖書)に飢えている、水(聖霊)に渇いている、裸の霊的な状態のクリスチャンに必要なものを与えるクリスチャンの奉仕はとてもとても神様に喜ばれます。
とても重要な箇所を見れたのでここまでにします。
エレミヤの部屋では聖書からメッセージがあります、是非ご覧下さい
http://www.geocities.co.jp/Technopolis/6810/