歴代誌下26章 | 777のクリスチャンへの警告と聖書 蛇のように聡く、鳩のように無垢であれ

777のクリスチャンへの警告と聖書 蛇のように聡く、鳩のように無垢であれ

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今回は26章を見ていこうと思います、何かクリスチャン、教会にとって益となる箇所があると思うのです。(口語訳です)
http://ameblo.jp/rebanonn/entry-10803620897.html
前回の続きです 前回は25章。


26:1 そこでユダの民は皆ウジヤをとって王となし、その父アマジヤに代らせた。時に十六歳であった。
2 彼はエラテを建てて、これをふたたびユダのものにした。これはかの王がその先祖たちと共に眠った後であった。

再びユダのものにした。 とありまして、昔にはあったけれど今はない たとえば、静かにお祈りをする長い時間とか聖書の解き明かし、聖書のことを話し合う時間、聖書のたとえの事柄について聖書を読む時間 など昔はあったでしょうが、今は少ないのではないでしょうか、取り戻すべきものは取り戻しましょう。

3 ウジヤは王となった時十六歳で、エルサレムで五十二年の間世を治めた。その母はエルサレムの者で名をエコリヤといった。

前回と同じく 母はエルサレムのものです そして治める期間がとても長いです。

4 ウジヤは父アマジヤがしたように、すべて主の良しと見られることを行った。

その理由が

5 彼は神を恐れることを自分に教えたゼカリヤの世にある日の間、神を求めることに努めた。彼が主を求めた間、神は彼を栄えさせられた。

です、ですから我々は主を恐れるようにと他のクリスチャンに教える事が神の御心とわかりますが、どうもこういう話は教会では聞きません・・・

5 彼は神を恐れることを自分に教えたゼカリヤの世にある日の間、神を求めることに努めた。

と、ありこのようなクリスチャンがいなくなってしまうと、教会のクリスチャンにも影響を受けます。
ですから、神を恐れる事を教える人はとても重要な存在なのです。


彼が主を求めた間、神は彼を栄えさせられた。

そして神を恐れる事と神を求める事がセットになっています、神を恐れましょう。

6 彼は出てペリシテびとと戦い、ガテの城壁、ヤブネの城壁およびアシドドの城壁をくずし、アシドドの地とペリシテびとのなかに町を建てた。
7 神は彼を助けてペリシテびとと、グルバアルに住むアラビヤびとおよびメウニびとを攻め撃たせられた。
8 アンモンびとはウジヤにみつぎを納めた。ウジヤは非常に強くなったので、その名はエジプトの入口までも広まった。

結果 強くなります

9 ウジヤはまたエルサレムの隅の門、谷の門および城壁の曲りかどにやぐらを建てて、これを堅固にした。

やぐらを建てるのはとても大事です 敵をいち早く発見できます、勿論サタン(敵)とその働き手の事です。

マタイによる福音書:21:33
もう一つのたとえを聞きなさい。ひとりの、家の主人がいた。彼はぶどう園を造って、垣を巡らし、その中に酒ぶねを掘り、やぐらを建て、それを農夫たちに貸して、旅に出かけた。

(以下引用は新改訳)


10 彼はまた荒野にやぐらを建て、また多くの水ためを掘った。彼は平野にも平地にもたくさんの家畜をもっていたからである。彼はまた農事を好んだので、山々および肥えた畑には農夫ぶどうをつくる者をもっていた。

農夫

マタイによる福音書:21:33
もう一つのたとえを聞きなさい。ひとりの、家の主人がいた。彼はぶどう園を造って、垣を巡らし、その中に酒ぶねを掘り、やぐらを建て、それを農夫たちに貸して、旅に出かけた。



ぶどう園

マタイによる福音書20: 1
天の御国は、自分のぶどう園で働く労務者を雇いに朝早く出かけた主人のようなものです。


皆クリスチャン関係の「たとえ」ですよ 水は聖霊 畑は陶器職人(神様)の畑で教会にたとえられ、山は百匹の羊などで教会にたとえられています。


10 彼はまた荒野にやぐらを建て、また多くの水ためを掘った。彼は平野にも平地にもたくさんの家畜をもっていたからである。彼はまた農事を好んだので、山々および肥えた畑には農夫ぶどうをつくる者をもっていた。

本来あるべき教会の姿 を垣間見る事が出来ます↑

11 ウジヤはまたよく戦う一軍団を持っていた。彼らは書記エイエルと、つかさマアセヤによって調べた数に従って組々に分れ、皆王の軍長のひとりハナニヤの指揮下にあった。

たまに戦う、好きな時に戦う、気が向いたら戦うではなく よく戦う一軍団を持っています、キリストの兵士である皆さんはどうでしょうか?

エペソ6:12
私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。
6:13
ですから、邪悪な日に際して対抗できるように、また、いっさいを成し遂げて、堅く立つことができるように、神のすべての武具をとりなさい。



12 その氏族の長である大勇士の数は合わせて二千六百人であった。
13 その指揮下にある軍勢は三十万七千五百人で、皆大いなる力をもって戦い、王を助けて敵に当った。

次です。

14 ウジヤはその全軍のために盾、やり、かぶと、よろい、弓および石投げの石を備えた。

新約では物理的なものではなく霊的なものなのです。

6:14
では、しっかりと立ちなさい。腰には真理の帯を締め、胸には正義の胸当てを着け、
6:15
足には平和の福音の備えをはきなさい。
6:16
これらすべてのものの上に、信仰の大盾を取りなさい。それによって、悪い者が放つ火矢を、みな消すことができます。
6:17
救いのかぶとをかぶり、また御霊の与える剣である、神のことばを受け取りなさい。
6:18
すべての祈りと願いを用いて、どんなときにも御霊によって祈りなさい。そのためには絶えず目をさましていて、すべての聖徒のために、忍耐の限りを尽くし、また祈りなさい。


いざ 戦い!となる時 備えをしていないと戦えません、いつも備えをしておきましょう。

エペソ6:12
私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。
6:13
ですから、邪悪な日に際して対抗できるように、また、いっさいを成し遂げて、堅く立つことができるように、神のすべての武具をとりなさい。




15 彼はまたエルサレムで技術者の考案した機械を造って、これをやぐらおよび城壁のすみずみにすえ、これをもって矢および大石を射出した。こうして彼の名声は遠くまで広まった。彼が驚くほど神の助けを得て強くなったからである。

とても強固です 

16 ところが彼は強くなるに及んで、その心に高ぶり、ついに自分を滅ぼすに至った。すなわち彼はその神、主にむかって罪を犯し、主の宮にはいって香の祭壇の上に香をたこうとした。

この事柄から教えられる事は何でしょうか、もう完全に聖と俗の見境がなくなってるような感じがします。

世の中でどんなに有名、著名な人でも実力がある人であっても 先月いいことがたくさんあっても、感情、高ぶり、高揚、世ではそのままどんどん突き進んでさらに繁栄、栄華、お金持ちになれるかもしれません、次々と先にいけます 「これが出来たんだから次はこのプロジェクトを」「これが建てたれたのだから、次はもっと大きいのを建てよう」そんな感じで。

しかしながら 「それはそれ、これはこれ」であり、教会内の奉仕に関わる事において その調子、テンションで進む、「私なら大丈夫だろう乗っているし」そんな感じで 世も宮も同じそういう大きな誤解をしている そんな型だと今は思っています。

某教会にもアルコール類を飲んで教会に来て、そのノリで、その高揚感の助けを借りて教会で奉仕をする これって違いますよね。




17 その時、祭司アザリヤは主の祭司である勇士八十人を率いて、彼のあとに従ってはいり、
18 ウジヤ王を引き止めて言った、「ウジヤよ、主に香をたくことはあなたのなすべきことではなく、ただアロンの子孫で、香をたくために清められた祭司たちのすることです。すぐ聖所から出なさい。あなたは罪を犯しました。あなたは主なる神から栄えを得ることはできません」。


ですからちゃんとした境目をもって、奉仕をするのが良いと思います。


19するとウジヤは怒りを発し、香炉を手にとって香をたこうとしたが、彼が祭司に向かって怒りを発している間に、重い皮膚病がその額に起った。時に彼は主の宮で祭司たちの前、香の祭壇のかたわらにいた。

ここはこことにています、ミリアムがモーセに反発した場面、民数記12章 ここも天幕、つまり宮、教会の事柄です。新改訳では思い皮膚病は「らい病」になってました。
19節は力で、ごり押し、自分の能力で そんな感じも受けます。


20 祭司の長アザリヤおよびすべての祭司たちが彼を見ると、彼の額に重い皮膚病が生じていたので、急いで彼をそこから追い出した。彼自身もまた主に撃たれたことを知って、急いで出て行った。
21 ウジヤ王は、死ぬ日まで重い皮膚病にかかっていたので、離れ殿に住んだ。主の宮から断たれたからである。その子ヨタムが王の家をつかさどり、国の民を治めた。

ここで 主に撃たれた事 と 主の宮から絶たれることが関連して書かれてあります、主をおそれましょう。

22 ウジヤのその他の始終の行為は、アモツの子預言者イザヤがこれを書きしるした。
23 ウジヤは先祖たちと共に眠ったので、人々は「彼は重い皮膚病にかかった人である」と言って、王たちの墓に連なる墓地に、その先祖たちと共に葬った。その子ヨタムが彼に代って王となった。

クリスチャンになって、色々と主にあって恵まれ、力強くなりますが おごり高ぶることをせずに、主にへりくだって謙虚に慎み深くしていきたいものです。

エレミヤの部屋では聖書からメッセージがあります、是非ご覧下さい
http://www.geocities.co.jp/Technopolis/6810/