主はこのように 乏しくせず 緑の牧場に伏させ(羊牛クリスチャンが食べる永遠の命の糧に伏させ)
いこいの聖霊のほとりに伴われ 私のたましいを生き返らせ 御名のために、義の道へと導かれます。
一方クリスチャンはというと
ルカ 6:39
イエスはまた一つのたとえを話された。「いったい、盲人に盲人の手引きができるでしょうか。ふたりとも穴に落ち込まないでしょうか。
霊的盲人のクリスチャンが 「一緒にあの集会行こう」「外国で有名な○○さんが日本に来るって!」などなど
あろうことか、クリスチャンがあくま礼拝者の面々を拝み仕え よみに落とされる時代です
誘う人も誘われた人も 穴に落ち込むのです、どうしたらいいか?誰に仕え 聞き従い 拝み 賛美しようか
神様がいるでしょう!?
世の中では何かの技術を得るには、その道の熟練者 あるいは学校などあります。 それに聞き従えば、技術が身につきます。
技術が落ちた、なんてことは無いのです が
教会関係では人に聞き、教えられ、勧められ、案内され、穴に落ち込む事があります。 これが聖霊の働きに見えるのなら盲人です。↓
*http://ameblo.jp/rebanonn/theme-10010468416.html
23: 4
クリスチャンから鞭をうけ、信仰の歩みを助ける杖で支えられる
勿論感謝ですが それにも勝ったものが 神様からの鞭と杖です。
ヘブライの手紙12章をお読みください。
死ぬまで鞭で打ち、誤った道へと誘う杖 これらはあるクリスチャンが使います
食事は飲んだり食べたりするのです(霊的に)永遠の命の糧 聖霊の満たし
ここで私の敵の前で とあります 実際ベニーヒン等が現れ 聖書の箇所が
酒(霊)のことなど がわかって来ました。かれら酔ってるようなのです
http://ameblo.jp/rebanonn/entry-10214899392.html
レビ記 10:9 あなたであれ、あなたの子らであれ、臨在の幕屋に入るときは、ぶどう酒や強い酒を飲むな。死を招かないためである。これは代々守るべき不変の定めである。
詩篇 69:12 (13) 町の門に座る人々はわたしを非難し/強い酒に酔う者らはわたしのことを歌います。
イザヤ 5:22 災いだ、酒を飲むことにかけては勇者/強い酒を調合することにかけては/豪傑である者は。
レビ記 10:9 あなたであれ、あなたの子らであれ、臨在の幕屋に入るときは、ぶどう酒や強い酒を飲むな。死を招かないためである。これは代々守るべき不変の定めである。
1サムエル 1:15 ハンナは答えた。「いいえ、祭司様、違います。わたしは深い悩みを持った女です。ぶどう酒も強い酒も飲んではおりません。ただ、主の御前に心からの願いを注ぎ出しておりました。
ルカ 1:15 彼は主の御前に偉大な人になり、ぶどう酒や強い酒を飲まず、既に母の胎にいるときから聖霊に満たされていて、
(新共同約)
と言う事で、食事を敵の前で主が準備して下さってるのです。
23: 6
このこと いつくしみと恵みを我々が追い求めるのではなく 追って来ます。
私は、いつまでも、主の家に住まいましょう。
奴隷はいつまでも家にいるのではありません。しかし、息子はいつまでもいます。
息子になりましょう↑ こうなりませんように40節まで↓
エレミヤの部屋では聖書の隠された事も詳しく書かれています ご覧ください