すべての国々は 信仰の父アブラハムの妻サラから 生まれています! 創世記17:16
すべての国々の民は クリスチャンの事です
貧しい者 ルカ6:20 に、書いてあります 霊的に貧しい賜物が無いと嘆き、しるしや奇跡を求めませんように
今の時代ではなく 次の時代に 集中しましょう。
クリスチャンと言えば、平和、愛などの事が一般的でしたが、今の教会時代の最後ごろには
取り囲んで中傷するクリスチャンが出てきます、別の言い方をするなら「嘲る者」でしょうか。ユダの手紙18
財産 富は 羊牛(クリスチャン)家(教会テモテ3:15)畑は御ことばの種が蒔かれ 麦クリスチャンが育つ場所です 初穂はキリストです(教会のたとえ) 霊的な賜物 と言う事で、今の教会時代の終わり頃 これらを持っていて、さらに取り囲んで中傷するクリスチャンが出ています。
神にのみ買い戻し(購いはできません)
今までつい最近までの常識では、聖霊を受けクリスチャンになったら、みくにに行けるのは常識でしたが
今回は違います、ベニーヒンは聖霊の油注ぎといっていますが 悪霊を食らわせています
愚か者もまぬけ者もひとしく滅び ありそうだな・・・と思いますか しかしこの箇所では
知恵のある者たちが死に ともあります、常識的な理解では知恵があったらしなないだろう、(永遠の命を失わない)知恵でなんとか出来るのではないか、あの人聖書の事を何十年も勉強しているのに とか、沢山神学校行ってるとか・・・
しかし、そうではないです。ベニーヒンがきた時 長く聖書を勉強してる人もホイホイついて行ってしまってるのを最近知りました。十年も勉強していたんですよ。
彼らは、心の中で、彼らの家は永遠に続き、その住まいは代々にまで及ぶと思い、自分たちの土地に、自分たちの名をつける。
家は1テモテ3:15で教会のたとえでもあります、我々の教会は永遠に続く・・・次の世代次の世代と・・・
なんていう「ビジョン」を持って自分たちの名をつけます。 ○○教会 とか
人やある教派の教理を受け入れないように だったらどうしよう・・・誰に従い誰の道を行けばいいのだろう
聖霊が教えてくださいます、祈りましょう。
彼らは羊のようによみに定められ、死が彼らの羊飼いとなる。朝は、直ぐな者が彼らを支配する。彼らのかたちはなくなり、よみがその住む所となる。
羊はクリスチャンのたとえです 羊飼いはキリスト 子羊はキリストです 1ペテロ1:19 黙示録にも沢山あります
彼らは羊のようによみに定められ、死が彼らの羊飼いとなる。
ということです
朝は、直ぐな者が彼らを支配する。彼らのかたちはなくなり、よみがその住む所となる。
直ぐな者に御心があります。
我々、金粉が出たり 空を飛んだりしたりする人見ても「おお~」とか「はは~」というようになりませんように
その人の家の栄誉が増し加わっても。 家は教会の事です
あの教会凄いな~きれいだな~ すばらしい栄誉がある いってみようか?
外側はきれいに白く塗っている教会(墓)ですが 内側が問題です。
49:17
今の世でどんな霊的な欲によって 栄誉が増し加わっても 中身が悪霊の教会だったらそのまま下って行きます http://ameblo.jp/rebanonn/entry-10150731857.html
彼が生きている間、自分を祝福できても、また、あなたが幸いな暮らしをしているために、人々があなたをほめたたえても。
49:18
彼が生きている間、自分を祝福できても、
ラオデキア(民の裁き) こことそっくりです
あなたは、自分は富んでいる、豊かになった、乏しいものは何もないと言って、実は自分がみじめで、哀れで、貧しくて、盲目で、裸の者であることを知らない。
溜め込んだ霊的富が神のものではなかった! と言う教会の事です。 結果
凄い賜物に富んでいる クリスチャンが一杯だ 会堂がきれいだ 設備も整っている 献金も一杯だ 奉仕者も沢山いる 等いわれますが 実際は神の働きを偽った悪霊の働きなので
このようになります。
知恵のある者も死にましたが なぜだったのか?それがその答えです
悟りがない!のです
つのぶえ終末の警告
http://www.geocities.co.jp/Technopolis-Mars/5614/
エレミヤの部屋 聖書のたとえやクリスチャンの方へ警告が載っています
http://www.geocities.co.jp/Technopolis/6810/
私の選んだ教会、聖会悪霊が働く動画
http://ameblo.jp/rebanonn/theme-10010468416.html
どうか、悟ってください。
主は悪者の行ないを忌みきらい、義を追い求める者を愛する。
正しい道を捨てる者にはきびしい懲らしめがあり、叱責を憎む者は死に至る。
よみと滅びの淵とは主の前にある。人の子らの心はなおさらのこと。
あざける者はしかってくれる者を愛さない。知恵のある者にも近づかない。
悟りのある者はいのちの道を上って行く。これは下にあるよみを離れるためだ。