信仰と不信仰と第二の死 | 777のクリスチャンへの警告と聖書 蛇のように聡く、鳩のように無垢であれ

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こんばんは、信仰と不信仰について書いてみます。 信仰ってなんか毎日何回もお祈りしたり、聖書を沢山読むこと、慈善をしないと、(信仰がない)なんて、お考えになっていませんか?

*

ヘブライ11:1
信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。 (新改訳)

ヘブル 11:1 信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。  (新共同約)


これがクリスチャンの信仰です他の信仰の箇所もこの事をしっかり心に刻んで見てみてください

すると・・・不信仰の意味も理解できるのです。 

これとは逆の事です、 望んでいる事柄を確信せず 見ています どこで?

日常生活でもありますけど やはり主の御心は教会クリスチャンに注がれていますので

教会などです、するとどうなるでしょう。

黙示録21:8

しかし、おくびょう者、不信仰の者、憎むべき者、人を殺す者、不品行の者、魔術を行なう者、偶像を拝む者、すべて偽りを言う者どもの受ける分は、火と硫黄との燃える池の中にある。これが第二の死である。」


信仰な者と あります なぜ、望んでる事柄を確信しないでいたり、目に見える事で確認してはいけないのでしょうか?


            悪霊の働きがあるから  悪霊の働きがあるから         


人が倒れた!金粉が舞った!幻視が見えた!等々 これら見えるものによって「罠にかかります」

異言にしても聖書の通り秩序正しくしてるのならいいですが いかがでしょうか?1コリント14辺りです

くれぐれも、「空」にむかって話しませんように。


という事で、金粉集め等に奔走したりしませんように。魔術を行なう者

そう、この事です 今の教会時代の終わり頃においては魔術を行なう者がいるという事です

(教会等クリスチャン関連の場所に)

ではどうすればいいのか 惑わされるのではないか 信仰を持ちましょう * 

http://www.geocities.co.jp/Technopolis/6810/  エレミヤの部屋をよろしくです 覆いのかかった聖書の事を解るきっかけになります。


http://ameblo.jp/rebanonn/theme-10010468416.html  動画です一括に纏めました 

信仰は ヘブライ11章をご覧ください 


ヘブライ 12: 1

こういうわけで、このように多くの証人たちが、雲のように私たちを取り巻いているのですから、私たちも、いっさいの重荷とまつわりつく罪とを捨てて、私たちの前に置かれている競走を忍耐をもって走り続けようではありませんか。

12: 2

信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。

12: 3

あなたがたは、罪人たちのこのような反抗を忍ばれた方のことを考えなさい。それは、あなたがたの心が元気を失い、疲れ果ててしまわないためです。


(ずれていたので修正しました ごめんなさい)