私の身に起きたこと 網膜剥離 白内障 その6 | ロックんとの日々

ロックんとの日々

ロックんとは愛用のギター・アンプ Hughes & Kettner Grand Meister 36のこと

善悪の彼岸からの視点で思ったことを書きます

入院という

非日常の中では頭を抱えることが起きる。

 

 

 

入院の手続き書類に

 

 

緊急連絡先と連帯保証人を記入しなければならない。

 

 

私には適当な名前が思いつかなかった。

 

 

 

 

そういえば先日、

 

アメリカ行きを決め、

 

ESTAの申請をしようとパスポートを見ると、

 

半年前に期限が切れていた。

 

やむを得ず新規で申請をした。

 

その時も、国内の連絡先を書かなければならなかった。

 

書かなければ交付されないかもしれないという。

 

それで音信不通の娘の名前を書いた。

 

住所はわからないので元妻の実家の住所を記入した。

 

それできちんと交付された。

 

県は確認まではしないらしい。

 

 

 

 

今回のは「国内」とは書いてないので、

 

国外にいる元カノの名前を書くことにした。

 

ちょうど先日、目の調子が悪くなった日に

 

久しぶりに連絡があったのだ。

 

連帯保証人のことを彼女に言うと

 

引き受けてくれた。

 

 

 

それからさらに困ったのは、

 

私自身の印鑑がいることだ。

 

今どき!

 

なるべく早く印鑑を持ってきてくれという。

 

 

この時点で退院日は未定。

 

 

 

それよりも困ったのは

 

急遽入院となったため、

 

身の回りのものが何もないことだった。

 

 

 

現金は2000円、

 

スマホはあるが充電器がない。

 

入院日は看護師に個人的に借りたが、

 

毎回借りることはできない。

 

 

 

その時、

 

家のそばに住む

 

高校の同級生だったKの顔が浮かんだ。

 

彼とは奇妙な縁がある。

 

 

 

津山の高校2、3年で同じクラスだった。

 

卒業後、私は広島で就職したが、

 

彼も広島の予備校に行った。

 

彼の両親が当時広島にいたのだ。

 

それで1年間、つるんで一緒に遊んでいた。

 

彼は岡山大学に合格した、

 

岡山は両親の出身地で、

 

のちに両親がそこに家を建てた。

 

彼は大学卒業後、

 

結婚し、岡山に家を建てた。

 

 

 

 

1984年8月9日、

 

大阪南港でスーパーロック'84が開催された。

 

私は広島から、

 

当時横浜に住んでいて津山に帰省中の

 

友人Iと観に行った。

 

彼も津山高校で同じクラスだった。

 

Iは後に誰もが知る超有名人となり、

 

今でもトップで活躍している。

 

当時は横浜国立大の学生で

 

ボーカリストとして頭角を顕していた。

 

 

 

その日、初来日のボンジョビ、

 

アンヴィル、スコーピオンズ、

 

冗談のようなボーカルを擁したマイケル・シェンカー・グループ、

 

ジョン・サイクスとコージー・パウエルのいるデヴィッドカヴァーデル率いるホワイトスネイクという今でも信じられないようなラインアップだった。

 

当時、私もIもデヴィッドカヴァーデルをNo.1ボーカルと考えていたので彼に最も期待していた。

 

彼はその期待に応えた。ジョン・サイクスのいるバンドは若返り、華やかになり、その後世界的に大成功となった。

その直前の姿を見られたのは貴重な経験だった。

 

私個人はブルージーさが失われた気がして、変わっていくホワイトスネイクに戸惑いを感じた。

 

 

当時の動画があった(大阪のではないが)↓

 

 

会場でIが財布を盗まれた。

 

私は脱いでいたラウドネスのTシャツを盗まれただけで済んだ。

 

 

 

そして、

 

終演が遅れ、

 

その日津山へ帰ることができなくなった。

 

 

 

私の神戸の親戚へ泊まろうかとIに提案したが、

 

人見知りのIが嫌がったため、

 

そこで

同じクラスだったKのいる岡山へ二人で行ったのだ。

 

 

そこでKに会ったIははしゃぎ、

 

突然走り出し、転んで用水路に落ち、

 

顔に怪我をした、

 

その日は8月9日だったので

 

「89(厄)日じゃ〜」と嘆いたのを覚えている。

 

 

 

 

 

私はKの結婚式に出席し、

 

彼も私のにきてスピーチをした。

 

 

 

 

私は実は恥ずかしながら

 

結婚してから家出をしたことがある。

 

夫婦喧嘩をして仕事をほっぽり出して

 

放浪した。

 

 

 

その時に彼の顔が浮かび、岡山の彼の家に数日居候した。

 

 

その後、35年以上交流はなかったが、

 

私が倉敷で借りた家の大家は

 

なんとKと同じ職場の人だったという偶然。

 

 

 

そして、私が岡山で見つけた家は

 

たまたまKの近くだったのだ。

 

 

 

 

そんな縁のあるKに連絡した。

 

入院していることを伝え、

 

私の物を家から持ってきてほしいと頼んだが、

 

彼は土日なら大丈夫ということだった。

 

 

 

つづく→