視座 | れあれあ

れあれあ

身長148cmのちびっこ40代のよもやま話

グリーフケア心理カウンセラー(悲嘆療法)
アドラー流メンタルトレーナー
臼井式レイキティチャー 
ライタリアンレイキマスター

こんにちは口笛

れあれあです。



鴨家に遭遇。

 

まりおたんまりおたんまりおたん

仕事の話です。
拝命している業務が
対外的には独人的な内容ですが

社内の複数の部署と
そこに係る沢山の職員の
間に入ったり
橋渡しをしたりでして

多少距離感があるからか
それぞれの皆さんから
付随して諸々の
悩みや不満をきいたり

本音を伺うことができます。

そのひとつの話です。
密接に連携業務が多い
ベテラン揃いの部署で
2人体制担当うさぎにっこり
ご対応頂いているチームが
ございました。

ここにきて
この2人体制うさぎにっこり
すれ違いが生じ
仲違いが生じ
ひび割れ始めていることを
お二方から
それぞれお伺いしました。

それぞれ
相互に対して
・・・ができていない
・・・が足りない等々
湧いて出てくる出てくる
相互への不満が。

恐らく近い関係であれば
親族だろうが
同僚だろうが
近ければ近いほど
相手に不足と感じているところ
際立って、目についてしまって

ほら、まただよ・・・むかつき
って何度も何度も
目についてしまうものです。

目についてしまうついでに
人にはその人なりの
視座があるものです。

その人の
その視座だからこそ
みえるもの

それは
己の視座では
見逃していたもの
・・・というのもあれば
その逆で

その人の
その視座では
みることができないもので
己の視座からは
丸見えなもの
・・・というのも
当然あるものです。

視座は
お互いの経験値や立場、環境
生い立ちなんかで
出来上がっていてるもので
絶対同じということは
ありえないもの。

だから視座の違いで
できないこと
不足していること
お互い様だと考えます。

視座の違いがあるからこそ
共同あるいは互助作業で
補い合っていくものだと
感じます。

働いているところ
生活しているところ
生きていれば
お互い視座違いの人ばかり。

己の視座による考えを
押し付けず
支配しようとせず

一度は
相手の視座の横に立って
どういう視座なのかを眺めてみて
自分の視座の風景を
相手にみせてみたりして

そうすれば
お互いうまくいくのに
なかなかできないのが
人の愛おしいところです。

組織の中で
働いているお蔭で
相手の視座から
みてみよう・・・ということを
日々訓練していただいております。

押忍٩( ᐛ )و
 

まりおたん本日のムフムフです。


JLというかたちと
Xというかたちな長井さんです。

 

※長井さん/丸井さんとは

レンズのゴースト現象による
緑色の光の帯に映る
長い/丸い影の個人的な呼称です。

撮影しているのはSONYのスマホです。

 

 

本日もご来訪ありがとうございました。

皆様と

皆様に関わった

全てのひとが

皆様のエネルギーに触れて

幸せな記憶が残りますように。