これも6年くらい前に書いた記事を、
さてはてメモ帳さんが保存してくれていました。
「戦争への教育」 たんぽぽ日記
安倍晋三や橋下徹はなぜ教育界の支配を目指すのか 「戦争への教育」政治=哲学に調教されてきた人類 世界の人口を調整するために たんぽぽ日記 2013年10月13日
安倍政権が学校教育者の管理を、教育委員会から各首長(すなわち、橋下徹のような悪しき政治家たち)に移管する方針であるということが報道されている。
すでに橋下徹が支配する大阪では、教育の現場で橋下徹が強制した「国家斉唱」や「国旗掲揚」が義務づけられ、国家を歌わない先生は罰せらるという、 教師の精神の自由が奪われる「違憲状態」が現出している。
学校の先生たちがなぜ「国家の斉唱」を嫌悪しているのかといえば、それは戦時中に国家の斉唱や国旗掲揚が強制され、「戦争が国民の義務」とされてきたからに他ならない。
「生徒たちを二度と戦場に送らない」という日教組の素晴らしい理念が、安倍晋三や橋下徹、そして暴力団が支配する右翼団体によって打ち破られる日が近づいている。
なぜこれほどまでに安陪晋三や橋下徹が「教育」にこだわるのか?その答えはプラトンの「国家」に書かれている。
これはプラトン哲学の中でも最も重要な要素であり、「肉体のこの世からの消滅=生命の否定」を目指すプラトン哲学の思想を成し遂げるための核心的な手法となる、子供たちや国民の思想支配が盛り込まれているのである。
人間の思考を「平和」から「戦争」モードに切り替えるという、まさに真の魔術が隠されているのだ。
魔術とはネズミをライオンに変えることではなく、人間の心を凶暴化させたり、おとなしくさせる術なのである。
―以下「国家」プラトン著 岩波文庫より引用
「では次に」とぼくは言った、
「教育と無教育ということに関連して、われわれの人間の本性を、次のような状態に似ているものと考えてくれたまえ。
ー地下にある洞窟状の住まいの中にいる人間たちを思い描いてもらおう。
光明のあるほうへ向かって、長い奥行きをもった入り口が洞窟の幅いっぱいに開いている。
人間たちはこの住まいの中で、子供の時からずっと手足も首も縛られたままでいるので、そこから動くこともできないし、また前の方ばかりをみることになって、縛めの為に、頭を後ろへめぐらすことはできないのだ。
彼らの上方はるかのところに、火が燃えていて、その光が彼らの後ろから照らしている。
この火と、この囚人たちの間に、ひとつの道が上の方についていて、その道に沿って低い壁のようなものがしつらえてある。
それはちょうど、人形遣いの前についたてがあって、その上から操り人形を出して見せるのと、同じようなぐあいになっている」
「思い描いています」とグラウコン。
「ではさらに、その壁に沿ってあらゆる種類の道具だとか、石や水やその他いろいろの材料で作った、人間およびその他の動物の像などが壁の上に差し上げられながら、人々がそれらを運んでゆくものと、そう思い描いてくれたまえ。運んでゆく人々の中には、当然、声を出す者もいるし、黙っている者もいる」
「奇妙な情景の喩え、奇妙な囚人たちのお話ですね」
「われわれ自身によく似た囚人たちのね」とぼくは言った。
プラトンがソクラテスに言わせているように、洞窟の中の囚人とは我々大衆のことであり、洞窟の中で影絵を演じているのが政治家やマスコミである。さらにその政治家やマスコミに指示して演舞をさせている人間たちがいる。
プラトンの書き方では少しわかりにくいので説明をつけ加えるが、この洞窟の囚人たちはみな洞窟の突き当たりの壁に向かって縛り付けられている。
その突き当りの壁が丁度スクリーンとなり、支配者に命じられた政治家たちが演じる影絵を眺めているわけだ。その影絵システムが、現在ではテレビ局に移り変わっただけなのだ。
囚人たちはこの影絵システムから流れる政治芝居しか見たことがないので、影絵が演じるすべてを真実だと子供の頃から思い込まされている。
そして影絵が求めるまま、影絵が「平和が正義」であるといえば平和を信じ、「戦争が正義」であるといえば、影絵の言うがままに戦争に向かう。
これこそがプラトンが見抜いていた政治と大衆の実態であるのだが、別にプラトンは大衆をその洞窟から導き出したりはしない、むしろ「洞窟から出してやる」といいつつ、もっと恐ろしい地獄への道へと導いてゆくのである。