たんぽぽ日記 戦争のない世界へ 2013年10月20日
みなさん、安倍晋三や橋下徹といった国家主義者たちは、なぜ教育界の支配を目指すのでしょうか。
プラトンは教育が「魂(または精神)という器官の向け変えの術」であると書き残しました。
これは何を意味するのでしょうか。
以前に書いた記事で、石破茂が高校に出向いて「集団自衛権は行使できる」と高校生たちに「戦争開始」を説きました。
それに答えがあります。
国民の思考(魂)を「戦争の放棄」から「武力行使」に向け変える為には、子供の頃から「戦争という意識付け」をしておくべきだとプラトンは説いています。
それこそが安倍晋三らの真の狙いだと言えます。
子供たちに学校で戦争を説き、
大人たちには国会やマスコミを通じて朝鮮や中国との対立を煽り、
自らも中朝に敵対する安陪晋三自民党政権の行く手を阻むことができるのは、
私たち平和を望む日本の大人たちだけです。
―※以下「国家」プラトン著 岩波文庫より引用―
「教育とは、まさにその器官を転向させることがどうすればいちばんやさしく、いちばん効果的に達成されるかを考える、向け変えの技術にほかならないということになるだろう。
それはその器官の中に視力を外から植えつける技術ではなくて、視力ははじめからもっているけれど、ただその向きがただしくなくて、見なければならぬ方向を見ていないから、その点を直すように工夫する技術なのだ」
ー中略ー
「では学習されるべきものが数ある中で、どの学問がそのような効力をもっているかということを、考えてみるべきではなかろうか?」
「ええ、むろん」
「それならどの学問が、グラウコン、生成するものから実在するものへと魂を引っ張って行く力をもっているだろうか?ところで、いま言いながら気づいたことがある。ー われわれは、彼らが青年時代に、戦争ための訓練を受ける競技者でなければならぬと言っていなかったかね?」
「ええ、そのように言っていました」
「とすると、われわれが求めている学問は、いま述べた条件を加えて、そのため条件をも充たすものではなければならぬ」
「とおっしゃいますと」
「戦士たちに無用のものであってはならぬということだ」
「たしかにそうです」と彼は答えた。「もしそのことが可能ならば」
「ところで、前の話を思い出してみると。彼らは体育と音楽、文芸によって教育されるということだった」
「そうでした」と彼。
「このうち、体育の方は、生じたり減じたりするものにかかずらうものではないか。というわけは、それが管理するところの人間の身体というものは、成長したり、衰えたりするものだからだ」
「明らかにそうです」
「だかろこそ、われわれの求めてい学科目ではないということになるだろう」
「ええたしかに」
「しかしそれなら、音楽、文藝、-われわれが先に述べた範囲でのそれだがーがそうだということになるのだろうか?」
「でもあれは」と彼は言った、
「ちょうど体育と対をなすような性格のものでしたーもしあなたが憶えておられるのであれば。
つまりそれは習慣づけによって国の守護者たちを教育するものであって、音の調べを用いて一種のよき調和の感覚を授け、リズムを用いて秩序ある律動の感覚を授けますが、けっして学問的知識を授けるものではありません。
また歌詞となる言葉においてもー物語を主とするもの、事実に近い内容のもの、どちらをとっても同じですがー
それがもっている教育的効果はやはり、そういう調和やリズムと相似た仕方で授けられる習慣的な何かです。 けれども、あたたがいままさに求めていらしゃるような目的への導きとなる学習は、先ほど語られた音楽・文藝の中には、何も含まれていませんでした」
「これはまた、たいへん正確にぼくに思い出させてくれたね」 とぼくは言った、
「たしかにそういえば、われわれの求めているようなものは、そこには何もなかった。しかしそうなると、いったグラウコンよ、どのような学習がそういう要求に適うものなのだろうか? いわゆる技術なるものは、すべて低俗なものだと思われたのだったし・・・」
「ええ、それはそうですとも。-そうするとほんとうに、ほかになおどんな学科が残ることになるのでしょうかね? 音楽・文藝とも、体育とも、様々の技術とも、まったく別のものだとすると」
「さあ、そこでだが」 とぼくは言った、
「もしそれらのほかにはもう何も挙げることができないのであれば、それらすべてに関わりを持つような何かを、つかまえることにしたらどうだろう?」
「と言いますと、それはどのようなものでしょうか?」
「たとえば、およそすべての技術も思考も知識も、共通に用いるものがある。これはまた、誰でもが最初に学ばねばならぬものだ」
「何のことでしょう?」と彼はたずねた。
「なに、たいしたことでもない」とぼくは言った、
「つまり、一と二と三を識別するということだ、これを総括して言えば、数と計算ということになる。
それとも、これについては、すべての知識も必ずそれを共有しなければならぬ、と言ってはまちがいだろうか?」
「いや、確かにそのとおりです」と彼は答えた。
「そうすると」とぼくは言った。
「戦争の技術もそうなのだね」
「それはもう」と彼は答えた、「どうしてもそれなしにはありえません」
「とにかく」とぼくは言った、「悲劇作品に出てくるアガメムノンはいつも、パラメデスのおかげで、はなはだ滑稽な将軍にされているからね。それとも君は、気づいたことはないのかねーパラメデスは自分が数を発見することによって、トロイアでは軍団の隊列編成を確立し、軍船その他のすべてを数え上げたと主張しているのを?
これはまるで、それ以前にはそうしたものが数えられたことがなくて、アガメムノンはどうやら、いやしくも数えるすべを知らなかったとすれば、自分が何本の足を持っているのかをさえ知らなかったもののようではないか?
そうすればしかし、彼はどのような将軍だったということになると思うかね?」
「なんとも奇妙な将軍だったことになりますね」 と彼は言った、「かりにそれが本当だとすれば」
「それでは、われわれとしては」 とぼくは言った、
「計算したり数えたりする能力を、軍人にとって必要欠くべからざる学科と定めるべきではないだろうか」
「ええ、なににもまして必要なものです」と彼は言った、
「もし軍隊の隊列編成のことを少しでも知ろうとするのならばですね。というよりむしろ、そもそも人間であるためにもすでに、必要欠くべからざるものです」
「それなら君は」とぼくはたずねた、
「この学科について、ぼくと同じことに気づいているだろうか?」
「どのようなことでしょう」
「おそらくこの学科は、ちょうどわれわれが求めているような、知性を目覚めさせるように導く性格を持っているもののひとつらしいのだが、しかい誰もこの学科を、-実在するものへと全体的に引っ張って行く力をそれが持っているにも関わらずー正しい仕方で用いていないのではないか、ということだ」
ー中略ー
「しかるに、計算術と数論とは全体として数に関わるものである」
「ええ、たしかに」
「しかるにまた、数の持つ右のような性格は、真実在へと導くことは明らかである
「並々ならずそうですとも」
「してみると、どうやらそれらの学問は、われわれが求めている学問のひとつだということになるようだ。というのは、戦士によっては、軍団を編成するためにそれを学ぶ必要があるし、
哲学する者にとっては、生成界から抜け出して実在に触れなければならないがゆえに、それを学ばなければならないのであって、そうでなければ、思惟の能力のある者とはけっしてなれないからである」
「そのとおりです」と彼。
「しかるに、われわれの国の守護者は、まさに戦士にして哲学する者なのだ」
「ええ、むろん」
「したがって、グラウコン、この学科を学ぶことを法によって定め、国家において最も重要な任務に将来参与すべき人々を、計算の技術の学習へ向かうように説得することは、適切な処置であるということになる。
そして彼らは、この学科に素人として触れるのではなく、純粋に知性そのものによって数の観得に到達するところまで行かなければならない。
貿易商人や小売商人として売買のためのそれを勉強し訓練するのではなく、その目的は戦争のため、そして魂そのものを生成界から真理と実在へと向け変えることを容易にするためなのだ」
―引用終わりー
プラトンは学問を「戦争のために学び」、戦士は数学者であり哲学者でなければならないと論じている。
そして、その目的は生成界(人間界)から、人間の肉体と魂を「実在」、すなわち「冥界」へと連れ去るためである。
戦争が人間を幸福にするわけがない。
プラトンは哲学によって「戦争を引き起こし」、さらに「戦争を正当化」する
ありもしない「実在」を根拠とし、人間を限りなく騙し続ける悪しき地獄王「プルートン」
それがプラトンの正体なのである。