先日、AKB48を引退した須藤凛々花さんが、「哲学者」になるため大学進学を目指すことが発表された。
そして脳学者の茂木健一郎が「素晴らしい」「応援したい」と言っている。
私は大学進学を目指す事は素晴らしいと思うが、
哲学者を目指すのは止めるように言いたい。
テレビを見ていると政治家や評論家は勿論の事、
芸能人までがこぞって「哲学」を口にする。
問題は彼らが哲学の本当の意味を分かって言っているのか、
それとも、ただ単に「自分のこだわり」について言っているのかと言うこと。
政治家や評論家は勿論哲学の意味を十分に承知した上で意見を述べている。
そして芸能人も、所属する宗教団体や師匠・先輩等から伝授されれば哲学の意味を知ることだろう。
哲学の意味を理解し、本気で実行に移したいと言うなら、
それはもう何かの宗教に洗脳されているようなものだ。
なぜなら、哲学ほど悪魔の計画を遂行している学問はないからだ。
しかし、学問・政治・経済・文芸・報道などの角界を貫いて、
哲学は最も素晴らしい教えだとされている。
絵画や文芸に哲学的要素がなければ大きく取り上げられることはない。
モナリザに哲学的意味がなければ、ただの肖像画に過ぎない。
あのアルカイックスマイルや背景に哲学的意味を持たせている。
私は哲学を知らない人に伝えたい、
例えばピカソの「ゲルニカ」こそ、
哲学者から見たわれわれ人間が暮らす世界なのだと。
私から見れば、ゲルニカこそ政治そのものに見えるのだが・・
そして天井にぶら下がっている照明は、
「万物を見る目」であろう。
安倍晋三やドナルド・トランプの後ろで、
見張り役として輝いている目だ。
私は哲学は勉強されるべきだと思う。
ただし―徹底的な批判の目を以てー
哲学を無用のものとしなければ、
この世界から戦争がなくなることはないからだ。
―※以下「パイドン 魂の不死について」ソクラテス著 岩田靖夫訳 岩波文庫より引用ー
なぜなら、僕は哲学こそ最高の文芸であり、
僕はそれをしているのだ、と考えていたからだ。
―中略ー
だが、おそらく君には驚くべきことのように思われるだろう。
人間にとって生きる事よりは死ぬことの方がより善いということだけが、
他のすべての事とは違って、例外なしに無条件的であり、
他のものごとの場合のように、
ある時ある人には、と言う条件がけっして付かない、ということは。
それだのに、死ぬことの方がより善い人間たちにとって、
自分自身にその善いことをなすのは不敬虔な行為であり、
善をなしてくれる他者を待たなければならない、というのは、
これもまた、おそらく、君には驚くべきことに思われるだろうね。
―中略ー
この説には、おそらく、ある根拠があるのだ。
実際、これらのことについては秘教の教義で語られている根拠があるのだが、
それによると、われわれ人間はある牢獄の中にいて、
そこから自分自身を開放して、逃げ出してはならないのである。
これは、僕にはなかなか高邁な、容易にはその真理を見抜けない思想のように思われる。
それにもかかわらず、少なくともこのことは、
ケべス、僕には正しく語られていると思われる。
神々はわれわれ人間を配慮するものであり、
われわれ人間は神々の所有物(奴隷)のひとつである、と。
君にはそうだと思われないかね」
「そうだと思います」とケべスは答えました。
―中略ー
「君たちに対して、裁判官に対してよりも、
もっと説得的に弁明することを試みてみよう。
なぜなら、シミアスにケべス、もしも僕が、第一に、
この世を支配する神々とは別の賢くて善い神々のもとへこれから行くだろうということ、
第二に、この世の人々よりはより優れた死んだ人々のもとにも行くだろうということー
―中略ー
(3)哲学者は死を恐れない。死とは魂と肉体の分離であり、
哲学者は魂そのものになること、
すなわち、死ぬことの練習をしている者であるのだから。
「放っておくさ。しかし、君たち裁判官には、僕は次のことについての論拠を説明したいと思う。
すなわち、本当に哲学のうちで人生を過ごしてきた人は、
死に臨んで恐れを抱くことなく、
死んだ後にはあの世で最大の善を得るだろうとの希望に燃えているのだが、
それは僕には当然のことように思えるのだ。
では、どうしてそういうことがありうるのか、
シミアスにケべス、僕は説明を試みてみたい。
すなわち、本当に哲学にたずさわっている限りの人々は、
ただひたすらに死ぬこと、
そして死んだ状態にあること、
以外のなにごとをも実践しないのだが、
このことに恐らくは他の人々は気づいていないのだ。
さて、もしもこれが真実だとすれば、全人生をかけて死以外の他のなにごとをも望んでこなかったというのに、
それが到来したら、
ずっと望んできてそれを実践してきたこのことに憤慨すうるというのは、
まったく馬鹿げたことだろう」
―引用終わりー
以上のように、ソクラテ=哲学者は人間の生命を否定している。
生きる事より、死ぬことの方が善い事だという。
さらに、もっと注意深くこの会話を考察するならば、
ソクラテスやプラトンが人類に呪いをかけていることに気づくだろう。
人間の肉体=生命を否定することで、
彼らが行う戦争という行為が正当化されることになる。
肉体の破壊は善なる行為であるーと、
この理論に基づいて、
オウムの麻原彰晃も自分に都合の悪い人間を次々とポアしていった。
宗教とは哲学に神秘性を持たせて大衆に分かり難くしたものだ。
神秘性を持たせることで大衆に知らせず、奥深さを演出し、さらには惹きつけ効果を狙っている。
逆に言うと、哲学とは宗教の神秘性を排除したもので、一般に知られていなかった秘教を脱聖化したものだと言える。
自民党政府は、テレビに登場して好き勝手言っている犯罪者集団を野放しにしていた。
殺人事件を犯している輩が、数々の番組に出演して正当性を主張していた。
テレビ局はオウムの宣伝に一役買っていた。
「麻原さんはおもしろいなあ」などとたけしにに言わせて。
地下鉄サリン事件が起きるまでは・・
なぜなら、自民党政権とオウムの哲学的目的に変わりはないからだ、
だが、麻原の行動は時期尚早だった。
彼らは動くべき時は、
数々の戦争法が成立し、
平和憲法が葬り去られ、
諸国が日本を攻めて来た時でなければならなかった。
そうなれば日本は外敵だけでなく、
内部からも大混乱を起こすことになる。
治安維持法が発動され、
政府は無実の国民さえ逮捕し、殺害しても構わない時代が復活する。
それは私の妄想ではない。
実際、この日本で在ったことなのだ。
それも、自民党に受け継がれた数々の政治家の精神、
つまり哲学的思想によって発動された。
私はこのような哲学を完全否定する。
確かに人間は肉欲から少しでも離れなければいけないだろう。
特にバブル時代のような欲望の塊からは。
けれど最上の幸福が死であるわけがないー
バブルは日本人をより堕落させるために創作されたものだ。
聖書に書かれているようなソドムとゴモラのように。
ソドミーな日本が滅びてしまった場合、世界はこういうだろう。
「したかないさ、あんな堕落して贅沢していた国そうそうないからな。アフリカや南アメリカ、それに多くのアジア諸国を見てみろよ。
いったいどこにあんな贅沢している国があるんだい?
食べ物だけでなく、水さえない暮らしで次々と子ども達が死んでゆくというのに。
それなのに日本は、援助と言えばひも付きで、自分の国の企業を寄越してさ。
使わない橋や道路より、同情するなら金をくれ!ってやつさ。
政府や企業の金儲けばかりで、俺たちの腹の中は空っぽのままさ!」
確かに世界からしたら、この国は堕落の極致に見えても仕方ないかもしれない。
でも、内情は一部の金持ちが大儲けしているだけで(団塊世代は別として)、
特に若い年齢層は賃金も安く、苦しい生活を強いられているのだが・・
それも竹中平蔵に代表される、
高度成長期と違う雇用形態、
非正規社員の増大が何よりの原因だ。
安定した雇用や昇給があったからこそ、
結婚し、妻は専業主婦として家庭を守り、
家を建てたり、車を買うといった、
子供を安心して産んで育てる生活が可能だった。
それを崩壊させたのはほかならぬ自民党等の政治家たちだった。
なぜなら、国民を貧しくすることで心は荒むからだ。
よく貧困は暴力を生むと言われている。
ニューヨークのハーレムやブロンクス、
日本で言えば東京の山谷や、大阪の西成区といったところに、
経済的に困窮した人々が集まり、今でも犯罪の温床となっている。
関西の大物組長たちの出身や、
活動ヶ所を見ていると、
西成区が圧倒的に多い。
在日の人々や元被差別部落出身者も多く、
覚醒剤やギャンブル、暴力事件が後を後を絶たない。
政府は、お仲間の金持ち優遇策には、
なんだかんだと最もらしい理由をつけて実現させてゆくが、
弱者対策は社会から突き上げをくらうまで放置している。
もし、国家が弱い者の生命を守るために存在するというのなら、
山谷やあいりん地区の現状はないはずだ。
であるのにたとえば自民党政権が派遣法を改悪し、
正社員ではなく派遣社員の増加を図り、
パソナの会長に竹中平蔵が収まって、
1億円以上の報酬をもらうとかありえないだろう。
よくアメリカで言われる「回転ドア」と言うやつだ。
民主党政権時代の菅直人にしろ、
孫正義が求めていた高額な売電価格を認めなければ総理大臣を辞めない!などと、
いったい誰の為の政治なんだ!
金持ちこそ有り余る私財があるのだから、
放置しておいても自分で生きてゆけるものを―
であるのに金持ちの金を増やすことばかり政府は行い、
貧乏人のなけなしの金からは、
やれ税金、保険料、年金だと次々と巻き上げ、
喰うや喰わずの生活を強いている。
これが続けば、
生活に困った人々は犯罪に走り、
さらには戦争さえも望むようになるだろう。
実際、貧困と差別が暴力団を生み出してきたのだ。
山口組三代目 田岡一雄組長は、
貧しく淋しい幼少期を送ったと自伝に書いている。
自分が生まれた時すでに父親は病没し、
上の兄姉たちは就職や結婚で家を出て、
母親とふたりの細々とした暮らしを送っている。
母親は小作人として働く毎日で幼い一雄はひとりぼっち、
そして小学校に上がると母親は過労で死んでしまう。
一雄は叔父の家に預けられるも歓迎されず、
次第にやさぐれてゆくー
田岡組長に限らず、
「組は貧しかったものや差別されたものなどが、寄り集まって助け合う家族」だと、
暴力団の組長らは主張している。
であれば、政府は国民を暴力から守るためにも、
貧困に苦しむ弱者の救済にこそ最も力を入れるべきではないのか。
国民が貧しくなって暴力や戦争を望むようになれば、
それこそ、安倍晋三が思い描く、
新たな戦争の到来が可能となるだろう。
その戦争を、最も高貴な学問であるという哲学が肯定し、
政治家は正当性を確信し、「自分は間違っていない」と心を落ち着かせる。
自衛隊員が前線で戦い次々と死んでゆき、
国民が核兵器によって粉々にされている時でも、
自分達だけは総理大臣官邸の安全な地下室に籠って、
敵が去るのを待ち、哲学を実践しないというのに。
007も言っているように「死ぬのは奴らだ!」と言うことだろう。
アインシュタインや、最近死んだ樹木希林、コマーシャルで高須克弥がなぜ舌を出しているか、
考えたことがあるだろうか。
見た人を馬鹿にするように舌を出すという行為は、
普通の大人はしないだろう。
それを日本中に、世界中に公開しているのだから、
特別な理由、おそらくは哲学的意味と、思想的非同朋に対する軽蔑の証だろう。
そこに哲学するものとしないものとの隔たりがある。
まあ、私は「哲学こそ究極の詐欺」だと確信しているので、
彼らがどういった気持ちで下を出しているのか理解できる。
つまり私のような人間に対する侮辱でしかありえないだろう。
またこの世界に住む大勢の大衆に対して。
もし、人間の肉体、そして生命が真に否定されるべきものであるのなら、
人間は死を心から死を喜び、また心から誕生を呪うことであろう。
私は小林麻央さんがブログを始めてから亡くなられるまでずっと読んでいた。
亡くなる数日前、だいぶ弱っているな、大丈夫だろうかと心配していたら、
亡くなったという訃報に接した。
家族ではないが私も泣けた。
麻央さんは「チャンスを神様ください!」と心から叫んでいた。
ご主人、そして幼い子ども達の為に・・
おそらく、日本中で数多くの人が泣いたことだろう。
大勢の人が応援していたから・・
もし、真に私たちの肉体が忌むべきものであるなら、
人間は人の死を悲しんだりしない。
私も数年前に母親を亡くした。
生まれて初めて受けた衝撃だった。
57年間生きてきて、これほど悲しいことはなかった。
「LEMON」ではないが、夢ならば醒めてくれと言う思いだった。
母はできの悪いところもある私の一番の応援団だった。
たとえ、どのような事があっても、
母だけは私を見捨てることがなかった。
それで私は落ちて挫けそうな時も、
必ず這い上がることが出来た。
本当に母のおかげだ、これ以上の愛情はない。
その愛を感じることができただけでも、
この世に生まれてきた価値があったと本気で思っている。
人間の心、つまり精神や魂は、
誰かの愛を受けることによって、
最大の満足を得るのではないだろうか?
もっと言えば、人はその愛を求めて生まれ、
その愛を得ることで成仏するのではないか?
であるならば、喧嘩ばかりしている隣人に頭を下げ、
互いの困っている部分を助け合って行くことで、
その愛が生まれる可能性はより高くなるはずだ。
そしてそれだけが、世界から戦争をなくすことができる、
人間としての真の行いであるはずだ。
私は、人間の本能が肉体的死を心の底から悲しんでいる以上、
死が善である等と言う哲学を、信じることはけっしてない。
もし生きることが悪なら、なんでソクラテスは死刑になるまで生きていたんだ?と言うことになる。
三島由紀夫のように自決するならば、その主張も筋を通したといえるだろうが、
ソクラテスは死刑にならなければ、寿命が尽きるまで生き続けたことだろう。
他人には死を勧めながら。
子どもが生まれた時、
特に母親である女性は、
たいてい心から嬉しそうな顔をしている。
大きな仕事をやり遂げたような、
自分の分身を得た満足そうな顔を。
もし肉体が忌まわしいものであるなら、
母親のあの嬉しそうな、心から満足した笑顔などあるはずもない。
かえって、周りのみんなと嘆き悲しみ、
生まれたばかりの子どもを呪い、
捨てててしまうであろう。
犬や猫を飼うにしてもそうだ、
その可愛らしい仕草に惹かれて人はペットを飼うことが多いと思う。
私は、もし自分自身になれ!と言われたなら、
この自分自身が本能から正しいと思っている、
人が死ねば悲しむ、
子どもが生まれれば喜ぶという気持ちをけっして忘れない。
その本能から湧き上がる感情さえ捨て、
どうしても哲学を収めたいというならば、
私はそれ以上は止めはしない。
私は、世界中に数多存在する哲学者たちがみな、
哲学を理解した段階で自決してゆくならば、
彼らの主張は理解しないが、心意気だけは認めるだろう。
けれども、わが安倍晋三氏のように、
哲学を収めるものたちは、
実際には自分の死ではなく、
他人の死を推進するため、
哲学を盾として戦争目指して邁進する。
安倍晋三が「平和憲法を変えることがライフワーク」だと言っているように。
戦後日本の平和を守り続けてくれた平和憲法、
いま、その唯一無二の存在がベルリンの壁のように、
安倍晋三や自民党、公明党、維新の会といった連中によってハンマーで破壊されている。