国は、人間が人間を殺すことを厳しく罰している。
人を殺すどころか、叩いただけでも罪ありとされ、逮捕される。
ところが、いったん戦争が開始されてしまうと、
その価値観はまったく逆転してしまう。
より多くの人間を殺した者が表彰され、
勲章を授与され、昇進してゆく。
人殺しに長けた人間が正しく、
人を殺せない人間は皆の前で罵倒され、
「腰抜け」扱いされる。
彼は殴られ、しまいには軍事法廷に引きずり出されるであろう。
戦場において銃を持ちながら、人を殺すことができず、
また自分の命を守る為に隠れている者は処罰される。
それまでは「人間を殺してはいけない」と法律で厳しく戒めておきながら、国は戦争が始まると「殺せ!」と命令する。
たとえ戦場にいなくても、
戦争に反対するまともな人々は『非国民』とされ、
警察に連行され、体罰を受け、時には処刑される。
人殺しを奨励しない、国家を揺るがす扇動者として―
善と悪の基準が、まったく入れ替わってしまう。
その基準は、立法によって国会で定められる。
軍人や警察官が決めたわけではない。
しかし、軍人や警察は国が決めた法律に従わなければ、
彼らも罰せられてしまうだろう。
人は、このように法律によって、
その思考と行動を180度入れ替えられる。
法律は、人間を時には仏とし、
あるいは悪魔に変えてしまう。
法律は国民にそのような行いを強制する。
ゆえに、わたしたち国民の中の大人たちは、
『法律を作る政治家の悪を抑制するために制定された、今の日本国憲法』を守り切らねばならないのではないだろうか。
すでに自民党政権により、
『武力攻撃事態法(小泉政権)』
『秘密保護法(安倍政権)』
『平和安全法(安倍政権』
が制定され、
日本人を戦争に引きずり込むための『外堀は埋められてしまった』
私たちに残された希望は、
『内堀となる、9条を始めとする平和憲法』だけとなってしまったが、
それもまもなく自民党により変えられてしまいそうだ。
もし憲法に改定が加えられれば、その要旨は大きく意味を違え、
人を間違った戦争へ駆り出すことさえ由とされるだろう。
戦争を認める法、それはもはや平和憲法ではない―
『良いものは変える必要がない』のではないか。
その証明は、明治維新後、
あれだけ暴れまわっていた大日本帝国が、
まるで借りてきた猫のように大人しくなり、
その後、まったく戦争に巻き込まれてこなかったことだ。
それは現行憲法に明記されている『戦争の放棄』の絶大な効力によるものだ。
この『戦争の放棄』こそ、、
たとえるならば大阪冬の陣における真田丸である。
私たち国民がこの砦を守ることができれば、
安倍晋三を始めとする、
現行憲法に違反して戦争を求める者たちの暴走を食い止めることができる。
今こそ、国民ひとりひとりが真田幸村となり、
平和という、これ以上ない幸福の城を守り切らなければならない時が、やってきたと言えるのではないだろうか。
※戦争を止めるために、この記事の拡散を希望します。
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