【第3則 馬大師不安】
垂示に云う、
一つ一つの作法や言葉に、悟りの入り口があると考えたら、大間違いだ。美しい肌をえぐって傷をつけ、あばたにすることになる。
一つ一つの作法や言葉はなくとも、仏法の大いなるハタラキが現れるし、則るべき決まりはない。もし、作法や言葉に至高の知識があると思って探しても、天地のどこにも見つからないだろう。
こうでもよいし、こうでなくてもよい。こうでは駄目であり、こうでなくても駄目である。この態度をもてば、人を寄せ付けない。よいだの駄目だの二つを行ったり来たりしてはいけない。
何が正しいのか、提起してみよう。
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【本則】
馬祖大師が病気になった。
院主が問うた。
「和尚、最近はお元気ですか?」
馬祖は答えた。
「日面仏、月面仏」。
(注)「日面仏」は、千八百歳の長寿の仏。「月面仏」は、一日一夜の短命の仏。
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【頌】
日面仏、月面仏。
五帝三皇是何者。
二十年来曽苦辛、
為君幾下蒼竜窟。
屈。
堪述。
明眼衲僧莫軽忽。
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頌って云う、
日面仏(にちめんぶつ)に、月面仏(がちめんぶつ)。
五帝三皇、何者だ。
二十年は苦しかろうと、
蒼い龍の珠(たま)求め、
馬祖のために旅に出た。
ああ、なんとひどい目に。
言葉でこれを表せぬ。
目利きの坊主に忠告す。
決してするな軽はずみ。
(注)三皇五帝…中国の神話伝説時代の国王。三皇は伏犠、神農、黄帝。五帝は堯、舜、嚳など。
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【公案の解答例】
病気になったとしても、先のことはわからないから、気にし過ぎても仕方ない。
千八百年生きた日面仏のように、長生きするかもしれないし、一日一夜の命の月面仏のように、明日死ぬかもしれない。
弟子たちは、あと20年は生きてくれと、蒼い龍の珠を探し回ったが、そんなことで寿命が延びるのだろうか?
短命であれ長寿であれ、天寿を全うしたことには変わりない。
寿命を気にしていたら、今日を犠牲にしてしまう。
寿命を気にしても、寿命は変わるのだろうか?
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【参考】
(老子道徳経・第50章「生に出でて死に入る」)
人はこの世に生まれ出でて、また死の世界へと入っていく。
柔軟に弱々しくて生きながらえることのできる人は、十人のうち三人あり、堅くこわばって死んでしまう人も、十人のうちに三人あるが、生きている人でわざわざ自分から死地へと移っていく人も、また十人のうちで三人ある。
そもそもそれはなぜかといえば、あまりにも生命を守ることに執着しすぎるからである。
聞くところでは、生命の養いかたに優れた人は、陸地を旅するときは、虎や兕(ジ=一角獣)といった猛獣に出会うことなく、軍隊に入ったときもよろいや武器で身をかためることはない。
兕もその角をぶつけようがなく、虎もその爪をひっかけようがなく、武器もその刃をうちこみようがないのだという。いったいそれは、なぜかといえば、彼には生命に執着するといった条件がないからである。
