野狐禅RRPGのブログ
『馬祖道一』


【第3則 馬大師不安】


 垂示に云う、


 一つ一つの作法や言葉に、悟りの入り口があると考えたら、大間違いだ。美しい肌をえぐって傷をつけ、あばたにすることになる。


 一つ一つの作法や言葉はなくとも、仏法の大いなるハタラキが現れるし、則るべき決まりはない。もし、作法や言葉に至高の知識があると思って探しても、天地のどこにも見つからないだろう。


 こうでもよいし、こうでなくてもよい。こうでは駄目であり、こうでなくても駄目である。この態度をもてば、人を寄せ付けない。よいだの駄目だの二つを行ったり来たりしてはいけない。


 何が正しいのか、提起してみよう。


***


 【本則】


 馬祖大師が病気になった。


 院主が問うた。


 「和尚、最近はお元気ですか?」


 馬祖は答えた。


 「日面仏、月面仏」。



 (注)「日面仏」は、千八百歳の長寿の仏。「月面仏」は、一日一夜の短命の仏。


***


 【頌】


日面仏、月面仏。

五帝三皇是何者。

二十年来曽苦辛、

為君幾下蒼竜窟。

屈。

堪述。

明眼衲僧莫軽忽。


**


 頌って云う、


日面仏(にちめんぶつ)に、月面仏(がちめんぶつ)。


五帝三皇、何者だ。


二十年は苦しかろうと、


蒼い龍の珠(たま)求め、


馬祖のために旅に出た。


ああ、なんとひどい目に。


言葉でこれを表せぬ。


目利きの坊主に忠告す。


決してするな軽はずみ。


 (注)三皇五帝…中国の神話伝説時代の国王。三皇は伏犠、神農、黄帝。五帝は堯、舜、嚳など。


***


【公案の解答例】


 病気になったとしても、先のことはわからないから、気にし過ぎても仕方ない。


 千八百年生きた日面仏のように、長生きするかもしれないし、一日一夜の命の月面仏のように、明日死ぬかもしれない。


 弟子たちは、あと20年は生きてくれと、蒼い龍の珠を探し回ったが、そんなことで寿命が延びるのだろうか?


 短命であれ長寿であれ、天寿を全うしたことには変わりない。


 寿命を気にしていたら、今日を犠牲にしてしまう。


 寿命を気にしても、寿命は変わるのだろうか?


***


【参考】


(老子道徳経・第50章「生に出でて死に入る」)


 人はこの世に生まれ出でて、また死の世界へと入っていく。


 柔軟に弱々しくて生きながらえることのできる人は、十人のうち三人あり、堅くこわばって死んでしまう人も、十人のうちに三人あるが、生きている人でわざわざ自分から死地へと移っていく人も、また十人のうちで三人ある。


 そもそもそれはなぜかといえば、あまりにも生命を守ることに執着しすぎるからである。


 聞くところでは、生命の養いかたに優れた人は、陸地を旅するときは、虎や兕(ジ=一角獣)といった猛獣に出会うことなく、軍隊に入ったときもよろいや武器で身をかためることはない。


 兕もその角をぶつけようがなく、虎もその爪をひっかけようがなく、武器もその刃をうちこみようがないのだという。いったいそれは、なぜかといえば、彼には生命に執着するといった条件がないからである。