「上・京・物・語」 〜後編〜 小豆島でたこ焼きBarを始めるまでは東京にも居たので・・・ | 小豆島のエンジェルロードから徒歩圏内のたこ焼きBar「ナニワのあきんど日誌」

小豆島のエンジェルロードから徒歩圏内のたこ焼きBar「ナニワのあきんど日誌」

全国25都道府県の「粉もん」を食べ歩き、約2年掛けて新潟県、香川県、北海道、兵庫県、長崎県を渡り歩いた大阪出身者が、小豆島の「迷路のまち」でたこ焼きBarを営んでいます。

小豆島のエンジェルロード観賞BESTタイミングは潮が引き始めた20分前後がおすすめ!

(潮が満ちる直前と夜間の往来は安全上おすすめしません。)

 

 

2006年(H.17)11月頃 〜満29歳〜

 

30歳を目前にして、僕は転勤命令のもと東京に居住地を移した。

地下鉄東京メトロ東西線「葛西駅」から徒歩10分程のワンルームマンションだ。

 

Y社東京営業所の最寄駅が同じ東西線の「茅場町駅」だったため、東京事情が分からなかった僕は東西線上で探したのがその理由だった。

 

東京でもかなり上位に食い込む激混み路線なのは後々気付くが、駅員が乗客を車内に毎回押し込む光景は大阪でもあまりお目にかかれない。

後に東京名物と聞かれれば「満員電車」と答えるようになったのも東西線での通勤が原因だ。

 

毎朝9時の朝礼までに間に合いたければ、通常は8時20分自宅出発で10分前には会社に着くはずなのだが、5分や10分の遅延は当たり前、葛西駅のホームに並び自分がホームの先頭までに辿り着くだけで3本から5本の車両を見送る。

 

それでも来る電車は全て満員、押し込まれながら雪崩れ込むように乗車し車内では人混みのなか脚が浮いて、次の西葛西駅では無理矢理降ろされて乗車出来なかった時は反対ホームに乗り換えて帰りたくなるほどだ。

 

そんな通勤が1ヶ月ほど続いたある日、大阪東京間で月末の恒例テレビ電話会議が行われた。

勿論、ネットワークシステムや機材は全て親会社から借りている。

 

ちなみにY社の会議率は異常な数で、朝と晩の2回行う事がある。当然その分事務処理が延びる。

 

酷い時には金曜日の夜に3時間ほどグダグダと会議して土日休んで月曜日の朝にはまた会議を行う。

 

何を報告すれば納得するんだ。

 

大阪でK部長との同行時に部長が発した言葉を思い出した。

「会議ばっかりやってる会社は儲かってないって、アレはホンマやなぁ…」

 

素直に名言だと思った。

 

画面越しには社長と部長が例のごとく業績不振で揉めている。

 

突然画面越しの社長が僕に向かって懇願してきた。

 

「ウチはもうアカンわぁ、暖簾たたむわぁ…、お前はどっか別のところ探して転職しろぉ」

 

耳を疑った。

 

東京へは行きたくないと主張していたのにワンルームマンションを解約させられて、強制的に東京へ連れて来させられて1ヶ月で転職先を探せ…

 

僕は決意した。

 

“この会社では、クビになるまで仕事をしない”

 

上京は予想を遥かに超える荒波での船出だった。

 

 

小豆島でたこ焼きBarを始めるまでは東京にも居たので「上・京・物・語」 〜終編〜 につづく

 

 

〜雨の小豆島「迷路のまち」〜

 

{B41DE116-6F70-4389-BFE4-725AD712E71E}

 

「雨の”椿“に 下駄すべらして たづねてきた」
俳人「尾崎放哉」