『歴史の鉄則』ー渡部昇一
●最大多数の最大幸福は本当に倫理的なのか
※サッチャー夫人は、首相になる3年前の1976年5月4日、保守党のジュニア・カールトン・クラブというところで、次のような演説を行った。
「われわれが目的とするのは、稀に見る無能な今の政府の座から追い払うだけではありません。労働党は社会主義を拡大するために存在しているわけですが、その社会主義の誤謬(ごびゅう)を、そうです、社会主義の全誤謬を破壊することが、われわれの目的なのです。
そうしなければ、労働党の支配者たちは、労働党の失敗をつきつけられるたびに、『社会主義の教義は依然として真理なのだが、そのやり方がまずかっただけなのさ』と言うことでありましょう」
サッチャー夫人の画期的なところは、対立する労働党の一つの政策の失敗を批判したことではない。労働党が政策基盤として拠って立つ「社会主義そのもの」を批判した点である。社会主義の存在理由に疑問を投げかけた点が、サッチャー夫人の一大功績なのである。労働党の失敗はやり方がまずかったのでなく、その基盤である社会主義そのものが悪かったのだ、という指摘はわれわれも忘れてなるまい。
ソ連や東ドイツはそのやり方がまずかったのではなく、その基盤である共産主義そのものが悪かったのだということを銘記すべきであろう。「主義は良かったが、やり方がまずかった」という声は日本ではまだ聞かれるし、これほど危険なごまかしはないのだ。
労働党の強さの根源が、「知的かつ倫理的」なものと広く思われていることにあるということを、それまでの長い政治生活で悟らされたサッチャー夫人は、社会主義が本当に人間を幸福にする考え方なのかどうかを国民に提示した。
19世紀以来、「最大多数の最大幸福」とか「揺りかごから墓場まで」といった社会主義的な考え方は、イギリス国民の常識のようになっていた。何となく、これに反対することができない空気があった。「資本家は悪、労働者は善」という善玉悪玉論が、知識階級や労働者階級を支配していた。
