『論語の読み方』ー山本 七平
●傲慢・贅沢・ケチは美徳の大敵

✪孔子は傲慢や贅沢やケチを心底から嫌い、それがあれば、他にどんな美徳があっても帳消しだとした。

「たとえ周公のような完璧な才能のある優秀な人であっても、驕慢(きょうまん)で吝嗇(りんしょく)なら、すべて帳消しで評価はできない」

 

『子曰く、如(も)し周公の才の美あるも、驕かつ吝ならしめば、その余は観るに足らざるのみ』(泰伯第八196)

 

「奢侈(しゃし)・贅沢(ぜいたく)は傲慢(ごうまん)になる。倹約にかぎると頑固になる。どちらも困るが、傲慢より頑固のほうがまだましだ」と。

 

「子曰く、奢なれば則ち不遜なり。倹なれば則ち固なり。その不遜ならんよりは、むしろ固なれ」(述而第七183)

 

孔子が礼を重んじたことは言うまでもないが、それが豪奢(ごうしゃ)になることは戒めた。「林放(りんぽう)礼の本を問う。子曰く、大なるかな問(とい)や。礼はその奢ならんよりはむしろ倹せよ。喪はその易(い)ならんよりはむしろ戚(せき)せよ」(八佾第三44)

 

ここでも「奢」よりむしろ「倹」である。そしてさらに喪の礼についていうなら、すべてが形式どおりに整々と行われることよりも、心から哀悼するのが礼の本質なのである。

 

孔子は見栄っ張りを嫌った。

「子、疾病(やまい)なり。子路門人をして臣たらしむ。病閒(やまいかん)にして曰く、久しいかな、由の詐(いつわり)を行うや。臣無くして臣ありとなす。われ誰をか欺かん。天を欺かんや。かつ予(われ)その臣の手に死せんよりは、むしろ二三の手に死せんか。かつ予(われ)縦(たと)い大葬を得ざるも、予は道路に死せんや」

(子罕第九217)

 

もちろん子路に悪意があったわけではない。否むしろ逆、いわば善意で、孔子が危篤になったとき、大夫らしい立派な世間並みの葬式を出したいと思ったのであろう。彼の心から尊敬する先生が「あんな貧弱な・・・・・・」などと世間から言われることは耐えられない。そこで門人を家臣に仕立てた。孔子が小康を得たとき、これに気づいて言った。

 

「子路よ、ずいぶん長い間、小細工をして人を欺いたな。私には家臣などいないのに家臣があるように見せかけてきた。それは世間への見栄だろうが、天を欺くことはできない。私には家臣に死後の世話をしてもらうより、むしろ弟子たちに世話をしてもらいたいのだ。世間並みの立派な葬式ができないからといって、のたれ死にと同じだというわけではないだろう」と。