『論語の読み方』ー山本 七平
●下学(かがく)して上達

--身近な過ちを克服してこそ大成

✪といっても、すべての人間は過ちをおかす。問題は過ちをおかした後の処置であろう。もちろん、前に記したように「小人の過(あやまち)や必ず文(かざ)る」(子張第十九479)で、どうせわかることなのである。

 

「子貢曰く、君子の過(あやまち)や日月の如し。過(あやま)つや人皆これを見る。更(あらた)むるや人皆これを仰ぐ」(子張第十九492)

 

これは説明の必要がないであろう。日食・月食はだれにでも見える。もちろん、当時は今のようにこれが予測できるわけではないから驚きである。そのように君子が過ちをおかすと、

 

「エーッ、あの人がまさか・・・・・」

 

と驚く。だが過ちが明らかであれば、改めればそれもまた明らかにわかる。そうなれば過ちではなくなる。

では、過ちとは何なのか。

 

「子曰く、過ちて改めざる、これを過ちという」(衛霊公第十五408)

 

人はこういう身近のこと、すなわち「下学」から「上達」していかねばならない。それが孔子の考えた礼楽社会における個人のあり方であった。そして「上達」しうるものが「君子」なのである。

 

「子曰く、君子は上達す、小人は下達す」(憲問第十四357)

 

これを宮崎市定氏は「諸君は一段と高い次元で物事を考えてほしい。低いレベルに降りて議論しては何にもならない」

と訳されているが、通常は「常に上達を志す者は君子となり、常に下達していく者が小人である」の意味に取る。

 

基本にもどれば、同じ意味ともいえようが、就職してしばらくたつと、飲み屋やバーで「低いレベルに降りて議論する」ようになってしまう人も少なくない。孔子はそれでは「君子」になれないと言っているわけで、「下学」から「上達」へが、生涯学習の道なのである。